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【小説】出口はどこですか? 第23話【最終話】

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 どうせ出口の場所を教えるのなら折原おりはらが案内すればいいのに、それにはどうしても抵抗があるようだった。最後まで渋る折原をよそに、沙樹さきはカウンターの横の扉に手をかける。

 かちゃり。

 鍵はかかっていなかった。トン、トン、と古びた階段を上っていく。ゆっくり続くイルハと桧山ひやま。妙な気分だ。まさか自分が出口の場所を進んで人に教える日が来ようとは。ギシ、ギシ、と年季の入った音が響く。三人分のトン、トン、と、ギシ、ギシの上に、自分のほんの少し荒い呼吸が重なる。いいんだよな? これで。問題ないよな? 消えない少しの迷いや不安のせいで、足取りは重い。折原はなんとなくわかるけれど、ほかのふたりはどんな気持ちなのだろう。なにを思っているのだろう。でも、沙樹がどんなに考えても、ユウヤを救う方法が他にあるようには思えない。実際、「神頼み」しないと無理な領域だ。大丈夫、悪夢の神だぞ。一回消滅してるけど、きっと今回はなにか攻略法があるのだ。桧山に協力を頼んでいたし。信じよう。神を。

 どうでもいいふたつの扉を通り過ぎ、廊下の奥、黒ずんだ鉄の扉の前に立つ。大事なことを忘れていた。
「あ、鍵……イルハなら開けられるのか?」
「どうだろう」
 イルハがノブに手を掛けてみたが、ビクともしない。
「やっぱ鍵は必要だよな」

 トン、トン、ギシ、ギシ……。

「ほら、結局僕が送り出さなきゃいけないじゃないですか……」
 泣きそうな折原の声。いや、泣いているのか。うわ、めっちゃ泣いてる。
 ぐすぐす言いながら、扉の前まで歩いてきた折原は、往生際悪く、イルハを振り返った。
「どうしても行くのですか。私が今までどんな思いで……」
 ますます涙を流す折原の胸に、イルハが親指のない右手を当てる。四本の指で、まるで心臓を掴むようだった。
「私が信じられないか? 必ず戻ると言っても」
「信じますよ! 信じるしかないじゃないですかぁ!」
 イルハの前で声をあげて泣く折原が、まるで子どものように見えて、沙樹は複雑な気持ちになった。
「いつまでも……お待ちしています……」
「二度と他の人間を送り込むなよ」
 イルハの言葉に折原は、うう、と泣きながら、小さく「はい」と答えた。

 三人に背を向け、折原はカチャカチャと鍵穴に鍵を差し込む。カチャ、カチャカチャ、カチャ……。前回ここで沙樹に出口を見せた時はすんなり開いたのに。手が震えて鍵が挿せないのだろうか。でもここは、代ってやるわけにはいかない。折原の手で鍵を開けてもらわなければ。

 カション。チャリ。

 開いた。出口の扉が、再び目の前で開かれる。沙樹の喉がごくりと鳴る。ゆっくりとゆっくりと、扉が開かれた。

 ああ、これだ。相変わらず、禍々しく広がる闇。よく考えたら、これのどこが出口だというのか。ユウヤも、なんでこんなとこに飛び込むかなぁ。
「なかなか、感慨深いものだな。私の古巣といったところか」
「やめてください!」
 再び泣きそうな折原の声に、イルハは、はは、と笑っていた。大丈夫だよな? 必ず戻ると言っていたし。沙樹の不安はいつまでも消えないが、こんな場面なのだから仕方ない。
「俺はホン・フェリアのとこへ行って、頭下げといてやる。すぐ戻ってこいよ」
 桧山がイルハの肩を叩いた。
「この礼は必ず」
 言葉とは裏腹に首を少し傾けただけのイルハを見て、やっぱ晴希はるきだな、と沙樹は思った。
「沙樹、絶対兄を連れ戻すから、あとはよろしくね」
「え? お前も帰ってくるんだろ?」
 イルハは微笑んだだけだった。なんだよ、それ。
「じゃあ、またね」
 また耳元で囁かれた気がした。気がした、だけだろうか。強い風が吹き、一瞬目を閉じた隙に、イルハの姿は消えていた。


 しばらく、残された三人は無言だったが、すぐに折原がぐすぐすと泣き始めた。まあ、気持ちもわからなくはない。長い間、ひとりで待ち続けた相手がやっと現れたと思ったら、またすぐに目の前で闇に消えていくなんて。しかも、自分の手で鍵を開けたわけだし。でも、もとはと言えば折原がユウヤを出口に送ったからこうなったわけで、大人しく待っていればイルハは行かずに済んだのだ。思い出したら腹が立ってきた。泣いている折原を横目に見る。自業自得だ。
「お前が創った出口ってのは、不完全な出来でな。想いと怨念が混じり合って、無を生み出していたんだ。そもそも、本当にこの世の出口だったのかすら、怪しい」
 桧山の言葉に、折原が焦る。
「そんな……最初はあんな状態ではなかったはず……無は後から……」
「イルハも気づいてたんだよ。出口に飛び込む前に、無を感じ取ったはずだ。お前に管理を命じた理由にそれもあるだろう。わかっていながら、無を受け入れたのは、なんでだろうな?」

 いつまで出口の前で立ち尽くしていたのか。動き出した桧山につられ、沙樹が一階に下りていくと、割れた窓から日が差し込んでいた。酷く長い夜だった。……いや、マジで酷い目に遭ったよなぁ! なんで俺まであんな悪夢を……と、荒れた店内を見回しながら今更怒りが込み上げてきたが、まあ、これもいい思い出になるのかな、と思い直した。ユウヤが無事に帰ってくれば、そのくらいはチャラにしてやってもいい。ユウヤは迎えに来たイルハ……いや、晴希を見て、どう思うだろう。よく考えたら、ユウヤはイルハと晴希、両方を救ってるってことだよな。無になって消滅したイルハと、眠り続けていた晴希を目覚めさせたわけだし。すげぇな、ユウヤ。早く帰って来い。兄弟で。


 それから数日経ち、一週間、二週間……帰ってくる気配はなかった。それどころか、星形の月はあのままの状態で臨時休業。何度か店の前まで行ってみたが、折原の姿も桧山の姿も見かけることはなく、沙樹の不安は募る一方だった。真尋まひろには電話で少しだけ話した。詳しいことは、全てがちゃんと終わってから話すってことと、星形の月はしばらく休業だってこと。話したのはそれだけだ。ユウヤと晴希が帰ってくるまで、どうしても落ち着かない。滉大こうだいとも最近は遊べていなかった。
 そうだ、滉大と久しぶりに遊ぶか……と、土曜の昼、ベッドに横になったままスマホの連絡先を眺めていると、消えたはずのユウヤのアカウントが復活している。沙樹は勢いよく起き上がり、確認してみると、履歴は消えているが、たしかにユウヤのアカウントのようだ。帰ってきている! いつの間に? 震える手で電話をかけてみる。緊張して背中と腰が痛くなってきた。ユウヤ、電話に出ろ。
「あ、沙樹君! 久しぶり!」
 元気のいいユウヤの声が響く。
「お前……どこ行ってたんだよ」
 言いながら涙が出てきた。
「ごめん、言ってなかったっけ? 旅行、行ってきたの。お土産もあるから店に取りに来てよ」
「え? だって店って今……」
「そう! 今日から、俺が店長だから……あ、びっくりさせようと思ったのに言っちゃった」
「え? どういうこと?」
「もう! とにかく今夜店に来て!」
 声でか! と笑いながら、沙樹はこっそり涙を拭いた。


 その夜、まだ暗くなる前に、沙樹は星形の月に向かった。ちょっと早過ぎたかな、と店を覗くと、もう明かりがついている。はぁ、緊張する。会ってみたら全然思ってたのと違う顔だったりして。そんなことないよな? あのユウヤだよな? 大きく深呼吸をしてから、思い切り、重い扉を引いた。

「らっしゃーい、沙樹君!」

 ああ。俺の知っているユウヤだった。

 沙樹は気が抜けて、床に膝をつきそうになってしまい、慌てて、立ち直る。
「はは、なにヨレヨレしてんの。ほら、いつもの席どうぞ」
 どうしてもふらつきながら、沙樹は壁際の席に座った。
「ジントニックでいい?」
「いや、その前になにがあったか説明してくれ」
「あ、そうだね、お土産渡さなきゃ」
「いや、お土産はいいんだけど――」
「じゃーん! ぽれった君のクリアファイル3枚セット!」
「いらねー! って、なんでぽれった君なんだよ。旅行のお土産は?」
「いやぁ、なんか旅行のお土産買ったはずなんだけど、どこにもなくって……どっかに忘れて来ちゃったのかも。だから代わりにほら、これ」
「だから、いらねーって」
 そう言いつつ、しっかり受け取った。

「折原さんは?」
 沙樹は、店内を見回しながら、尋ねた。壊れた壁や割れた窓などは、何事もなかったかのように、落ち着いている。
「折原さんも旅行らしいよ。いつ戻るかわかんないんだって。俺が旅行から帰ってきたらすぐにメール入ってさ、店長やれって。電話したんだけど繋がんないし。準備はしてあるから、後は任せたって。信じられる? ありえないっしょ。けど、俺、店持つのが夢だったからさ、実はかなり嬉しい。あー! 内緒にして、びっくりさせようと思ったのに!」
「いや、まあ、いろいろびっくりはしてるよ」
「そう?」
「弟はどうした?」
「弟? なに急に」
 ユウヤが驚いた顔をしている。旅行の設定とか、よくわからないけれど、晴希についてはどういう設定になっているのだろう。
「晴希は、その……どうしてるの?」
「晴希? どしたの沙樹君。俺ひとりっ子だけど。誰? 晴希って」
「はぁ?」


 難しい顔をしてジントニックを飲む沙樹を、ちらちらと窺いながらユウヤは他の客の酒を作っている。納得いかない。あいつは兄のために命懸けで出口に行ったのに。また消滅したってこと? なにやってんだよ。勝算があったんじゃないのかよ。ごきゅっと喉を鳴らして、ジントニックを飲み下した。カランと、氷が音を立てる。
「やけ酒か?」
 懐かしい声がして振り向くと、桧山だった。よく考えたら、そこまで懐かしくはない。
「どうなってるんです?」
「随分、不満そうだな」
「桧山さん、いらっしゃい! 店長のユウヤっす」
「そうか、お前店長になったのか。それはよかった」
 全部知ってるくせに!

「俺は納得いかないですよ。どういうこと? あいつまた消滅したんですか?」
「まあ、落ち着け。そんなヘマはしねぇよ」
 桧山は用意されたロックグラスにジャックダニエルを注ぎながら、答える。
「イルハはホン・フェリアのもとに還った。従者も連れてな。出口の件で色々と力を借りちまったから仕方ねぇ。顔を出さないわけにはいかないんだよ」
「それで折原さんは旅行中ってことですか? でもなんで晴希の存在が消えてるんですか! あんなにお互い大事に思ってたのに!」
「こら、お前でけぇ声出すな」
 沙樹は仕方なく唇を噛んで黙った。
「まあ、だからこそ、なんじゃねぇのかな。ユウヤに寂しい思いをさせたくなかったんだろ」
「俺は覚えてるのに?」
「ああ。覚えていてやってくれ。もしかしたら、いつか、ふらっと現れるかもしれねぇしな」
 その時は晴希ではなく、イルハだってことだよな。なんか複雑でよくわかんねぇや。沙樹は、メニューを持ってテーブル席に向かうユウヤの後ろ姿を眺めた。兄弟揃ってるとこ、見たかったなぁ。
「出口はこっちで処理しておいたから、安心しろ」
「そうですか……」
 とりあえず、ユウヤが無事に還ってきてよかった。そして、やっと全て終わったのだ。終わりが見えなかった、出口との戦い。もう、怯えなくていい。あの闇に誰かが吸い込まれることは、もうないのだ。


 日曜の夜、真尋との約束。今回は珍しく、沙樹がネットで見つけた店の個室を予約してある。「キャプテェン」というお好み焼きの店である。評価もかなり高く、隠れ家的で、やっと、いかにも真尋が好きそうな店を見つけることができた。今日は真尋に、全て話す。隠さず全て。全部だ。関係あることも、ないことも、全部話す。受け止めて、くれるだろうか。
 薄暗い、ほんのり海賊船をモチーフにした店内に入り、個室へと案内される。

「真尋……」

 既に席につき、真剣にメニューを睨んでいる真尋の姿が新鮮で、そりゃ真尋が先に到着することもあるに決まっているのだが、不意のことだったので、驚きと戸惑い、そしてこんな些細なことがなぜこんなに嬉しいのかわからず、声を出して笑ってしまった。
「あっ、沙樹君。なんで笑ってるの。え? ……はは、あはは」
 ふたりは、意味も分からないまま、涙が出るほど笑った。



「美味しかったね。また来よう、沙樹君」
「うん、いつ?」
「明日?」
「さすがに無理だわ」
 そう言いながら、笑っている真尋の横顔を盗み見る。
「まだ時間あるなら、行ってみる? 星形の月」
「行こう! ユウヤ君に会いたい!」

 突然、強い風が吹き、耳元がぞわっとした。

「どうしたの?」
「いや、なんか囁かれた気がして」
「ふふ、なにそれ」

 沙樹の左手の中指が、真尋の手の甲に触れた。
 ちょっとだけ、指先を絡めてもいいかな。
 今夜は、君と夢がみたい。

 悪夢じゃないやつ。


【了】




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 最後までお付き合いいただきありがとうございました!!
 この作品は以前連載していたものを推敲し、再投稿したものです。

 心より愛を込めて…

         葉月Lエンデ


あとがき的なやつ




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