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推しが人生を薔薇色に変えた話

”推しがいること”

それは時に人生をも変えてしまう。


そう思うのは、私が当事者だから。

これは、私の過去の話。

私が高校生だった時。

特に推しというものはなく、いろんなジャンルに手を出してはなんとなくで終わり、ふーんという日常。

友達と恋人がいて、それなりに楽しい日々だった。

だけど私はよく倒れてしまうことがあって、体力が人よりもなかった。

ただ、それだけ。

高校三年生の時、当時しつこかった恋人と別れた後、微熱が出た。

当時の私は相当疲れていたらしい。

受験のストレスも相まってかなりの負担がかかっていたのだろう。

ちょうどその時からだ。私が何もやる気がなくなったのは。

やる気が無くなっただけじゃない。

悪夢を見るようになった。その次の日は大体自分で立つことができない。足がすくんで、何かに捕待って、ようやく歩ける。

頭は何かを搾り取られるようにずっと痛い。

友達に言われた。「頭が痛いって勘違いしているだけじゃないの?」

そうかもしれないとは思っていたけれど、この辛さもわからない友達に、そんな無神経なこと、言われたくなかった。落胆した。

結果的に学校に行けなくなり、勉強もできずに寝ることしかできなかった。

夜になれば、私はもう死ぬのではないかと思ったほどに、苦しかった。

悪夢なんて見たくないし、頭だって痛い。何もやる気が出ないし、驚くほど抜け殻な自分。

むしろ、こんな苦痛が続くのならばいっそのこと寝たらそのまま永遠に寝ていたいとすら思っていた。

友達に連絡することすらやる気が出ずにできない。

泣くことすらもできないし、暴れる気力も持っていない。

更には一人称が「俺」になって、まるで別人格でも出てきたように知らない人(自分)と親が話していた。

今となっては、受験のストレスとしつこい恋人はきっかけでしかなかったのだと思う。

だっていつかどうせこうなる運命だった。


大学病院でわからずにそのまま紹介されたクリニックでようやく原因だと思われる結果が現れた。

それまで2ヶ月くらいかかった。

それは私の血液の成分が一般人の5倍くらい不足していたことだった。

保険の効かないサプリを飲み続けて早くて半年で治ると説明された。

大学病院でもわからなかったのにクリニックで原因がわかるはずない。

私はそう思って信じてなかったけれど、唯一現実的な対応策で、私はそれに希望を抱くしかなかった。


それからたまに学校に行けるようになって、少しだけでも、単位は取らないといけないから頑張って登校した。

だけど誰も私の辛さを理解してくれなかった。

それもそのはず、だって受験生だし、私のこの辛さを味わったことがないのだから自分のことで精一杯で私のことは気遣うはずもないのだ。

でもその時の私は理解してくれないことがすごく辛かった。

そんな生活の中、体調を崩す前に借りたIDOLiSH7のマンガがきっかけで始めたリズムゲームが、私にとって唯一の楽しみだった。

そのゲームをしている時間は何もかもを忘れてただひたすら没頭した。

私にとって、何かに没頭できるという事実がとてつもない安心感だった。

まだ私は人間である、そう思えたから。

ストーリーは重いけど、男性アイドル系のゲームは初めてだし、面白かったから全然気にならなかった。

だんだん成長していく彼らを見て、勇気をもらった。

アイドルという存在は元々大好きだったから、音楽にも虜になって勇気をもらえた。

明るい音楽、明るい存在、その裏に潜む暗い感情や血の滲む努力。

その全てが、存在しているはずの私よりも人間らしく、輝いて見えた。


そして、コンテンツそのものも好きになって、YouTubeを漁っていた時、私は運命の出会いを果たした。

それがすとぷりである。

「大好きになればいいんじゃない?」

このフレーズ、明るい音楽、そして優しく救い出されるような声。

イラストも可愛いそのMVに私は惹かれた。

その言葉通り、大好きになればもしかしたらどん底な私でも生きる意味を見出せるかもしれない。

高校三年生の冬、私は本気で思った。

そして、彼らを好きになった。

すとぷりは知れば知るほど奥が深くて、応援したくなる。そして何より、その声に、楽しそうな声に癒される。

その過去に隠されているものは私が持っているものよりも遥かに辛い人もいた。その人たちが今笑って配信してる。

その事実に、勇気づけられた。

Twitterで応援するためのアカウントを作れば、場所も年齢も全然違う人たちと仲良くなれた。

そして、苦しんでいるのは、辛い気持ちなのは自分だけじゃないことも知った。

分かり合える人たちがいること、好きなことを共有できることはこんなにも嬉しくて楽しいのかと初めて知った。

そして推しを原動力にした私の活躍は凄まじかった。

あれほど動けなかった体で大学受験をし、ギリギリ後期で合格したのだ。

出席日数も間に合わせて無事に卒業することができた。

症状はほとんど変わらない。変わったのは気持ちだけである。

推しがいる、それが全てで頭だって痛いまま、体だってだるいまま。

咳だって出ている始末。

人生が変わったと言っても過言ではないだろう。

もし私があの時「大好きになればいいんじゃない?」を再生しなかったら、私は今でも地獄の底に一人ぼっちでいるような感覚で彷徨っていたのかと思うと、怖くてゾッとする。

推しが楽しそうに話してくれること、楽しいコンテンツを届けてくれること。

それが私の1日の楽しみだし、辛くても忘れることができる。

私があの時に出会った二つの推し。

私を人間だと感じさせてくれた推し。生きる意味を見出してくれた推し。

尊い推しへ ありがとう。


もし何か辛いことがあるなら、推しを見つけることをお勧めする。

そうでなくても、何か新しい何も関係のないことに触れてみることをお勧めする。

もしかしたら、あなたの人生も薔薇色に変化するかも知れない。

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