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あの時が、最後だとわかっていたなら。

なまぬるいおにぎり🍙です。今回のnoteはちょっと悲しい内容です。

まず、このnoteには家族や動物の死に関わる内容を書いています。人によっては悲しい気持ちにさせたりフラッシュバックさせてしまう可能性があります。描写については一切書いていませんが、この時点で辞めた方が良さそうな方は読まないことを勧めます。興味を持ってくれたのにすみません。


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先日うちの愛猫が行方不明になった。


コロナが少しづつ落ち着きを見せ、そろそろ実家に帰って抱きしめたいと思っていた矢先だった。

日常でふと「あれ?」と思う第六感みたいなものもあり、母に猫の様子を聞いた時に発覚した。

出会いは我が家の家の下に兄弟と一緒に捨てられていたのを拾ったのがきっかけだった。年はもう19歳で人間で言ったら90歳以上。
私が子どもの頃から一緒に過ごした大切な家族。妹みたいな存在。
最近は朦朧としてよたよたで、毎回会う度に今日が最後かもしれないと思いながら「大好きだよ愛してるよ」と伝えながら撫でていた。

そんな愛する子が3月から外に出たきり戻ってきてないと先日母から初めて聞いた。(いろいろなタイミングが重なり、母がそれまで言わなかったことに関しては割愛する)

老猫の習性として死期が近くと突然いなくなることがあると聞いたことがある。その理由は静養するためだったり、弱っているところを見せたくない本能であったりするらしい。

優しい子なので皆を悲しいきもちにさせないよういなくなったのかもしれない。
いや、もしかしたら家のどこかにいるのかもしれない。
もしかしたら親切な誰かに拾われてどこかで暮らしているのかもしれない。
それとも、ひとりどこかでゆっくりと深い眠りについているのだろうか。


正直、気持ちのやり場がない。


諦めずにうちの子の搜索をする?
「戻ってくるといいですね!」

そんな声をかけられたとしても、素直にそう思えないだろう。
よたよたの老猫が餌も食べずに2ヵ月生きられるだろうか?誰かに拾われてる可能性もあるかもしれないけど…

かといって、深い眠りにつく様も見ていないので死を受け入れることもできない。

御冥福をお祈りします、と言われるのもうまく受け取れないと思う。(さらに悲しくなりそうだから今は言わないでほしいかも)


正直、どう気持ちの整理をしたらいいのかわからない…。


家族が行方不明になった人は、もしかしたらこんな気持ちに近いのだろうか。(比べるつもりなんてもちろんない)


戻ってくるかもしれないと希望を持つことも、死を受け入れることもできない。とても甘えん坊なあの子がひとりで眠ってしまったのだろうかと想像するととても悲しい。寂しかったよね、お腹空いたよね。
でも、気まぐれで1人の時間も大切にしてるような芯がある意志のある子だったから、そうしたいと思ったのかな。

わからないけど。

出会った頃から今までを思い出し懐かしみ涙を流すことしかできない…。


''今どう考えたらいい?"
"どう捉えたらいい??''


すがるように答えを求めて人に問いかけたくなったが、きっと見る人を困らせてしまいそうなのでツイートはせずにnoteに書くことにした。


自分の心は整理できていないまま。時間が解決してくれるかもしれない。

どこにいるのかはわからないけど、遠くには行ってないと思うので地元の近くにいるんだ、近くにずっといるんだと思って無理やり自分を落ち着かせている。


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少しづつ落ち着いてきたのでこのnoteを書くことができた。

常に悲しい気持ちなわけではないし今もケラケラ笑ったり冗談を言ったりと明るい状態の時間が多いけど、ふとした瞬間やきっかけでポロポロと涙が出てくるのは仕方ない。猫というワードをミュートにしようかと思ったりもしたけど、猫の顔が違うからか別のニャンコの写真をみても悲しくはならなかったのでミュートにしてない。(なので私のお友達はお気になさらずw)自宅にもう1人猫がいるので猫の写真も時々載せると思うけどビックリしないでねw

猫や動物を飼うのはとても幸せな時間なんだけど、別れが本当に悲しい。

動物だけでなく人間も同じ。大切な存在を失うって本当につらいと思う。

それでも、一緒にいられた時間は幸せなのだけれど。


話は変わるが、コロナウイルスで入院してそのまま亡くなった方は、最後の瞬間も家族に会えないという。(コロナウイルスで亡くなられた方には御冥福をお祈りします。)

大切な人が亡くなるだけでなく、最期に立ち会えず、お別れを言えないのは本当に耐えられないことだと思う。

お別れを言えないことが、こんなに苦しいだなんて。


コロナウイルスだけではないが、私達はいつ何が起きるかわからない。もちろん何かが起こらないように防げることがベストだが、やむを得ずその時が突然きてしまうこともある。

昨日と同じ日常が、明日もあるとは限らない。
当たり前な日常なんてないんだよね。

言葉ではわかっていても、いつの間にか忘れてしまう。有名人の死や身近な人との別れで私たちは思い出し胸に刻むが、目まぐるしく過ぎる日常や楽しい時間に、刻まれたものはいつの間にか薄れていってしまう。

だから私はこのnoteを書くことにした。

別に、自分は悲しいんですアピールをしたいわけでも同情して欲しいわけでもなく。ただ、自分自身が忘れないように、何度でも思い出せるように書き残そうと思った。そしてうちの愛猫が確かにいたことを残したくて。

タイトルの「最後だとわかっていたなら」は、9.11追悼会で朗読され、世界中に広まった詩の名前だ。知っている人も多いかもしれない。大切な人との会話や触れ合いが、その日で最後だとわかっていたらどうするだろう。いつもと違う言葉をかけたり態度をとるかもしれない。

日常が日常でなくなる瞬間を、私たちは知っているけど忘れてしまう。それは悪いことでもなんでもなく、普通のことだ。でも、後悔する人が少しでも少なくなればと思いこのタイトルにした。

「#最後だとわかっていたなら」のタグや言葉でググると、素敵な詩や動画が沢山出てくるのでもし興味がある方はみてみてください。

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岩手日報さんからの引用「最後だとわかっていたなら」


もしあなたが、大切な人と過ごす今日が最後だとわかったらどうしますか?


私はいつ何が起きるかわからないからこそ、伝えたいことは伝えられる時にちゃんと伝える人でありたい。

常にそうできるわけではないけど、ふと思い出した時に「ありがとう」と伝えてみるでもいいし、何か贈り物をしてみるでもいい。「元気?」といった気にかけの言葉でもいいかもしれない。


今回のことはとても悲しいけど、毎回愛猫に会う時は大好きだよ愛してるよと言葉をかけて、ハグしていたので後悔はしていない。(もっと会いに行きたかった、コロナもなければ…というのはあるけど)


でももしも、最後に会った時が最後だとわかっていたなら。

何をしてあげられたんだろう?

最後だとわかっていたなら。
きみに何度もキスをして、嫌がられてもだっこして撫で回すだろうな。

その日はずっと一緒に居て、きみが小さな頃にうちに来た時のことを独り言のように話して聞かせるかな。

🐾

ちーたんがいてくれて我が家は幸せでした。
19年も生きてくれて沢山幸せな時間をくれて本当にありがとう。

最初は言う事聞いてくれなくて沢山怒ったりぶつかったよね。ごめんね。
でもすぐに相思相愛になったよね。いっぱいお話聞いてくれてそばにいてくれてありがとうね。鼻を舐めてくれると嬉しかったんだけど、ザリザリしてちょっと痛かったですw

ちーたんは幸せだったかな。
途中でお母さんが別の猫飼ってごめんね。でも私の中ではちーたんが今までもこれからも1番です。

一緒にいられなくてごめんね。
出会ってくれて、家族になってくれてありがとう。今までもこれからもずっと大好きだからね。また会えるからね。

きみは確かにここにいて、私たち家族を幸せにしてくれました。

もしもこのノートがきみに届いて読んでくれてたら、一度夢に出てきてね。腰をトントンして喉を撫でてだっこするからね。

ちーたんとはきっとその辺でひょっこり、また会えると信じています。たとえ姿を変えていたとしても。(来世は私がちーたんの猫になるね!w)

どこでどうしているかわからないけど、ゆっくり休んでね。ふわふわで居心地が良くて美味しいご飯があるところで穏やかにいられますように。

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↑べっぴんなウチの子👏

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最後までもし見てくれた人がいたら、ありがとうございます。

このnoteが、ふと誰かの心の片隅に何かを残せたなら幸いです。


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