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わたしの常備薬~支えとなる小説~

物事は一面だけで成り立っているのではない。距離を取り、角度を変えて見れば、そこにはユーモアな世界が広がっていることを気づかせてくれた小説がある。

がっぷり四つで何事にも当たってしまいがちの僕は、うまく事が進まないと焦燥感に駆られ、不満や不安が募りがちだった。そこから抜け出そうと必死にもがくと、空回りをしてさらに自らを精神的に追い詰めてしまう。
昔、このような境地に陥ったときに、たまたま手に取った小説があった。

夏川草介の『神様のカルテ』である。映画化やドラマ化もされているので、ご存じの方も多いと思う(僕には映画もドラマも満足のいくものではなかった)。
信州の病院を舞台としているので、医療小説になるだろうか。シリーズ化されており、スピンオフの『神様のカルテ0』を含めれば、現在までに5巻が刊行されている。

「24時間、365日に対応」の看板を掲げる病院の医師として、不眠不休で仕事に忙殺される栗原一止が主人公である。
彼は優秀な医師でありながら、愛読書である夏目漱石の影響を強く受けており、語り口が非常に古風で、周りからは変人扱いされている。

栗原一止が漱石の影響を受けているのは語り口だけではない。漱石が小説に皮肉めいた物言いをする人物を描いたように、栗原一止も自身の理不尽極まりない境遇をユーモアというスパイスを振りかけて、自虐的にどこかで楽しんでいるところがある。また同僚らとのコミカルな掛け合いは悲劇的な場面をも喜劇に転じさせてしまう。
ひとつ間違えれば、暴言や侮辱とも受け取られかねないが、この際どい自虐と掛け合いが、物事は自分次第でユーモアにも映ることを気づかせてくれた。

以来、本書を読むと、物事や境遇に対して一面的に、あるいは一本調子で捉えてしまうのではなく、距離を取り、角度を変えて臨むことを思い起こす。この見方の変化がユーモアを生み出して、あらためて物事に取り組もうと思えるゆとりをもたらしてくれる。

何事にも正面突破を試みてしまう性格そのものはなかなか直らない。今でもそのことで自分の首を絞めてしまうので、僕にとって『神様のカルテ』は常備薬のように身近に置いておきたい本である。


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