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第10話「蛇夜」

悲鳴を上げた瞬間、背後から掴む手に力が入る!いや、力が入ったのは後ろに引っ張られたからだ。背中を打ち付けて床へ倒れこむ。痛くはないが目を瞑ってしまう。頭を床につけたまま、僕は瞬きを一、二回してから、そろりそろりと目を開けた。

頭上に誰かが見下ろしてる姿が、朧げに視界へ入った。そのあと、僕の頭の左右に白いふくらはぎがチラッと目に付いた。いつのまにか廊下の蛍光灯が消えている。だけど、薄っすらと見下ろす人物の姿は見えた。

誰なのか見当もつかないが、その人物が裸なのは頭の左右に見える足から想像できた。

これはどう考えても奇妙な場面で間違いない。夜の会社で素ッ裸の人がいること自体がおかしいのだから。


「ミタラ、ダメ」


えっ!?


なんと話しかけて来た。その声は機械的な話し方で、感情が無いと言うべきなのか、とにかく声に生気を感じられなかった。だが、ハッキリとした言葉で話した。


ミタラ、ダメと言った。何を?何を見たら駄目なんだ!?頭に浮かんだのはトイレから出て来た人物。

そんな考えが頭に浮かんだ瞬間、パッパッパッと真上の蛍光灯が瞬いて光を取り戻した。


「い、居ない?」僕のことを見下ろしてた人物が居ないことに気づいた。


辺りを見渡してみるが、廊下には誰の姿もない。しんと静まり返った廊下で一人床に寝ている状態だった。僕は起き上がると、第二部署へ向かって歩いた。鍵を使って中へ入り、息を落ち着かせる。

さっきの裸の人物は、警告してきたのか。それとも助けてくれたのかわからない。とにかくトイレから出て来る人物を確かめようと思わなった。

あそこで確認してたら、僕の身に何か起きたかもしれない。背筋に寒気を感じた。どうやらあれだけ叫んだのにも関わらず、事務室に居る二人には聞こえなかったようだ。聞こえてたら部屋から飛び出して来るはず。


とりあえず今は話さないでおこう。あとで報告すれば良い。僕は携帯電話を取り出すと羽鳥武彦へワン切りした。耳を澄ませて四、五分、二人の会話は聞こえてこない。つまり日比野鍋子があの部屋で何が起きても聞こえなかった可能性が高い。


やっぱり、彼女は一人で何かを見た可能性がある。もしかしたら、先ほどの見た人物と繋がるかもしれない。


僕はそっと扉を開けて廊下へ出ると、用心しながら曲がり角から顔を覗かせた。トイレの出入り口が見えたけど、人の気配はなく誰も居ない。廊下が見えるだけだった。

やっぱり助けられた。きっとそうに違いない。ホッと息をついて、僕は曲がり角から出て二人の待つ部屋へと向かうのだった。


「あ、先輩。どうでした?」と部屋に戻って来た僕へ、羽鳥が訊ねる。


「全然聞こえなかったよ。だけど、僕の予想通りだね。次はこの部屋を調べる必要があるね」


「それで、何を調べるの?」と雫が質問する。


「そうだな。羽鳥くん、君が部屋に入ったとき、何か気づいたことはない?例えば、いつもの光景と違っていたような事」


「実は部屋に入ったとき、すぐに気が付いたことがあります。煙草、煙草の匂いが部屋にしたんです。社内は喫煙禁止なので、おそらく日比野さんが吸ったと思います。たぶん、一人で残業だったから喫煙所に行かなかったんでしょう」


「なるほど」と僕は考えた。


すると雫が、「だったら何か飲んだかもしれないわよね」と言う。


「それなら、あっちに給湯室がありますよ」と羽鳥武彦が、部屋の端にある給湯室を指差した。


三人で給湯室へ入り、中を隈なく調べてみる。普通の給湯室で、特に変わったところはない。だけど、ここで何か異変に気づいた可能性は高い。三人で手分けして調べたが、結局何も見つけられなかったし、奇妙なことも起こらない。

奇妙なことは数分前の出来事だけ。

「何か飲みます?」と羽鳥武彦がインスタントコーヒーの瓶を手にして訊いて来た。


「ああ、ダメよ。先生は珈琲にこだわりってるけら、インスタントコーヒーは嫌なのよね」と雫が言う。


「お前な、先生って呼ぶなよ」と僕は文句を言う。


そのとき、突然、部屋の扉がガチャガチャと音を立てた。三人同時に顔を見合わせた。誰かが中へ入ろうとしている!?


「誰かな。警備員かも」と羽鳥武彦はそう言って、給湯室から出て扉の方へ向かおうとした。


警備員なら特に問題はなさそうだが、もしも、さっきのトイレから出て来た人物だったら。僕は嫌な予感がして咄嗟に羽鳥の肩を掴んだ。すると、羽鳥武彦は顔だけを向けて、僕の顔を見て何事かと目で合図を送る。


彼のことだ、僕の行動に意味があると感じたのだろう。その辺のところは大学時代から空気を読む奴だった。


「先輩!?」


「扉は開けない方が良い。警備員なら入って来るはずだろう。ほら、ずっとノブをガチャガチャさせてる。まるで誘ってるみたいだ」


僕らの方から扉を開けさせようとしている。もしかして、扉の向こうにいる人物は自ら中へ入ることができないのか!?


ガチャ、ガチャガチャ、ガチャ!!


数秒ほど、扉のノブをガチャガチャと鳴らしたあと、扉の向こうに居る人物は諦めてノブをガチャガチャとする行為をやめた。ここは慎重になるのが一番である。

「何なんでしょう。確かに警備員なら入りますよね。奇妙だな。やっぱりアレが関係してるのか」と羽鳥が意味深な言葉を言う。


果たして羽鳥の言葉の意味とは?


このあと、例の話の続きを聞くことになるのだった。それを聞いたとき、僕の中で一つの結論が頭に浮かぶ。この事件の真相は根深いものだと。


第11話につづく

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