第13話「蛇夜」
階段を上り下りするとき、我が家では気をつけることがあった。下から二段目の右隅が雨漏りで腐敗した為、母親から踏まないように注意されていた。それでも俺は、毎度のこと忘れて踏んでいたっけ。
そんなことを思い出して、暗闇の階段を慎重に下りた。木の軋む音が足元で聞こえている。階段を下りて短い廊下の左手が両親の寝ている和室。薄暗い廊下を摺り足で進んで、家の匂いを鼻先で嗅ぎながら引き戸の前で立ち止まった。
そう言えば、俺は何歳なんだろう。改めて自分の顔を手のひらで触る。頬に貼られた絆創膏が一枚。よく転んで怪我をしていた子供だった。蒸し暑い夜に季節は夏だとわかる。こんな風に蒸し暑い夜、布団を抜け出して台所へ忍び込んでは、冷凍庫からアイスキャンデーを取りに来てた。
走馬灯のように蘇る記憶のカケラ。ここは紛れもなく俺の実家で、時代を遡っている。引き戸の向こうに両親が寝ているはず。フゥーと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
いや、元々俺は落ち着いてる。昨夜の悪夢から目覚めたのかわからないけど俺はこの状況に対して、落ち着いていることには変わりない。
意を決して、引き戸をゆっくりと音を立てないように横へ引いた。
スス、ススースと。
居た。母親が仰向けで寝ている。父親が隣で背中を向けている。天然パーマの父親の姿に懐かしさが込み上げてきた。上京する前、俺と父親の関係はどうだった?
父親は左官屋の職人だった。口は悪いが家族を大切にする人。だからこそ、上京して実家へ帰郷しない俺に対して苦言はあっただろう。家を出た時点で一人立ちしたと思っていた。
だけど、親にとって子供は子供。どれだけ成長して大人になろうと、ずっと子供のままなんだ。これで兄弟とかいれば良かったんだけど、一人息子だったから余計に寂しい思いをさせた。
今になって後悔している。もっと早く気付くべきだった。父親が寝返りを打って顔を向けたとき、思わず声が出そうになった。それでも駆け寄りたい気持ちを我慢して、俺は両親を起こさないように引き戸を閉めてその場から立ち去った。
台所へ移動して、勝手に冷蔵庫を開けて飲み物を探した。ペットボトルなんて無かった時代だ。いつもの感覚で冷蔵庫を開けたもんだから、ドアの重さや古い形に驚きしかなかった。
それにしても一体、俺はどうしてこの時代へ来てしまったのか!?
昨夜の悪夢と関係している。それとも俺は死んでしまったのか!?
そのとき、玄関の方からコンコンと叩く音が聞こえた。こんな夜中に訪問して来るやつが居るか?田舎ではありえない。俺は流し台に置かれていたまな板の包丁を手にして、忍び足で玄関の方へと向かった。
俺の家は磨りガラスの引き戸。訪問者の顔は見えないが硝子越しのシルエットで大人か子供なのかは判断できる。
錆び錆びの包丁を握りしめて、物音を立てずに玄関の前へ進んだ。
すると、硝子越しに背丈は俺より低い子供かと思われる人物が立って居た。磨りガラスの為、ハッキリと見えないけど、下半身がスカートだったので女の子とわかる。
「どちら様ですか?」と声をかける。
「鍋子だよ」と女の子が答えた。
「鍋子!?」
「日比野鍋子だよ」
真夜中の訪問者。得体の知れない女の子は、俺のことを知ってるみたいだった。
第14話につづく
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