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第9話「蛇夜」

「めっちゃイケメンやん!」と雫が僕の後ろで呟いたのを耳にした。


誰のことを言っているのか一目瞭然。僕の目の前に立っている大学時代の後輩、羽鳥武彦のことである。文句の付けようのない整った顔。童顔で魅力的な笑顔に世の女性たちはメロメロになるだろう。雫も好みだったのか、僕が紹介する前に自ら名前を名乗って、羽鳥武彦の前へ躍り出た。


「酒井雫です。先生とは数年前に知り合って仲良くしてもらってます。今回の件、私も興味があって是非参加したいと思ったんですよ。羽鳥さんは、亡くなった女性と最後にお会いしたんですよね」と探偵気取りで話を進めるのだった。


おいおい、依頼主が男前なら態度を変える奴だったか!?驚くほど態度の違う雫を見て、僕は冷静になろうと思った。あれだけ関心の無い素振りを見せていたのに。


参ったな。


しかも僕のことを先生と呼ぶ事自体、こっちとしては気持ちが悪い。それよりもお前は主役じゃない。どちらかと言えば脇役に過ぎない。そんなことを思いながら、二人の自己紹介が終わるのを見るのだった。存在自体、忘れられそうだ。


ゴホンと咳払いをして、僕と羽鳥武彦は数年ぶりの再会を喜んだ。こんな形で再会となかったけど、僕としてはこんな事がなければ会う機会はないと思っていた。

挨拶もそこそこに、僕は事件当日のシミュレーションを再現したいと申し出た。


「事件当日を再現する?つまり僕と日比野さんが最後に出会った、ここでの出来事を再現すれば良いんですか。電話でも話しましたけど、そんなに長い時間じゃないですが」


「時間が問題じゃないんだ。僕が知りたいのは、日比野鍋子が君と接触する前のことを知りたいんだ。君もここで彼女と会ったとき、妙な違和感を感じたはずだ。ってことは君がここへ来る前、彼女は何か奇妙な出来事に遭遇したんだよ。もしくは何かを見てしまったか?」僕はそう言って、事務室をぐるりと見渡した。


白を基調とした部屋。各自にデスクが与えられており、一ミリのズレもなく並べられている。奥には他の社員より立派なデスクとチェアーが見える。役職者のデスクだろう。棚に並べられた資料も綺麗に整理整頓されている。今日一日、複数の社員が働いていたなんて思えない。それほど小綺麗な事務室だと感じた。


「君はどこで残業をしていた?」


「僕はここを出て、廊下を歩いた一番奥の部屋、第二部署です。角を曲がった部屋なので事務室は見えません。だから日比野さんが残業してることも知りませんでした」と羽鳥武彦が身振り手振りで説明をする。


頭の中でイメージした見取り図。羽鳥武彦は別室で一人残業。そして、彼女はこの部屋で一人残業。帰る間際まで二人は接触もおろか、お互いに残業していたことも知らなかった。

これはこれで、ミステリー要素が集まった。


つまり、日比野鍋子は誰かと会っていようが、その事実を知る者はいない。警備員が巡回していたという事実もない。


ホントに彼女一人で残っていた。


「あのさ、確かめたいことがあるから部屋に残ってもらえないか。何でも良いから二人で会話をして欲しいんだ。僕は君の居た第二部署へ移るから、そこから二人の会話が聞こえるか確かめてみる」


「でしたら、鍵を持って下さい。第二部署は廊下を出て、左へ歩いて曲がり角の一番奥の部屋です」羽鳥武彦はそう言って、僕に部屋の鍵を手渡した。


「それじゃあ、僕から携帯電話を鳴らすから、それを合図に二人は会話を始めてくれ」


二人を部屋に残して、僕は部屋を出ると第二部署へ向かった。廊下には人の気配は無く、物音一つしない空間だけが視界に映った。

彼に言われた通り、廊下を左へ歩いて曲がり角を目指す。そこまで長くない廊下の先に曲がり角が見える。


カツン、カツンと足音を鳴らしながら歩き続けた。すると、左側の壁伝いにトイレのマークが見えた。会社内のトイレだと思い、そこはスルーして通り過ぎようとした。横目で男子トイレと女子トイレが見える。


そして、僕が通り過ぎた瞬間、トイレの方から水の流れる音が聞こえた。


歩くのをやめて振り返る。水洗トイレの流れる音。しかも、女子トイレから聞こえてくる。羽鳥武彦から誰もいないと聞いていた。

警備員かと思ったが、女子トイレから聞こえるなら警備員の可能性は低い。大体、大手は会社を警備するなら男性と決まってる。


だったら、誰が!?


バタンと扉の開く音がして、足音と人の動いている音が聞こえた。姿の見えない人物は手を洗い出したようだ。音だけでこんなにも想像できるのは、きっと僕の神経が研ぎ澄まされているからだろう。


僕は姿を見られるのを回避しようと、相手がトイレから出て来る前に、足音を消して曲がり角の方へ小走りで向かった。そして、曲がり角からそっと覗き込むように、僕は息を殺してトイレから出て来る人物を待った。


トイレの出入り口から誰かがあと一歩で姿を現そうとした瞬間だった。


突然、背後から何者かに腕を掴まれた!?


どれだけ心臓の強い人間でも、油断していたら、きっと僕みたいに悲鳴をあげるに決まってる。僕はその冷たい感触に驚いて思わず声を出すのだった。


僕の背後に誰かいる!?


第10話につづく


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