第30話「世の中はコインが決めている」
夢の中で携帯電話が鳴っている。出るべきか無視するべきか、迷ってる間も鳴り続けている。夢なら出なくても良いだろうと、僕は無視を続けた。すると、しばらくしてから鳴り止んだ。
一体誰だよ。大体、今は何時で何曜日なんだ。そんなことを夢の中で思ったとき、再び携帯電話が鳴り出した。まったくしつこい奴だな。そう思ったとき、ふいに僕は揺れ出した。その揺れがだんだんと大きくなり、微かに耳元で誰かの声が聞こえた。携帯電話も鳴り続けている。
……くん……くん……はじめ……くん。
夢じゃない。この声は僕の良く知ってる人の声だ。声の正体がわかった瞬間、僕は無意識に身体を起こすのだった。
そして、鳴り続ける携帯電話の音で現実なんだと気がついた。
「はじめくん、鳴ってるよ」と僕の隣で声が聞こえた。横を振り向くと、隣で裸の女性が寝ていた。顔は隠していたけど、その女性が誰なのかは知っている。
辺りを見渡して携帯電話を探した。ベッドのそばにある丸いテーブルが目に入り、薄暗い部屋の中で携帯電話が点滅している。 慌てて手を伸ばして、携帯電話を掴むと僕は待ち受け画面を見た。
店長からの電話だった。そのまま着信ボタンを押して、僕は返事をした。少し声は枯れていたけど、なんとか店長の声に耳をすませる。
「もしもし阿弥陀だけど、朝早く悪いね。まだ寝てた?そう、今起きたところ。鳥居くん、今日の出勤って早番だよね。急で悪いんだけど遅番に変更してくれる?」
「遅番に、ああ、遅番ですね。別に構いません。ええ、あ、はい。大丈夫です。わかりました。はい、失礼致します」
「会社から?」と僕の背後から聞いてくる。振り向くと、弓子さんが顔を隠していた。
夢の中でもなく、僕は紛れもなく弓子さんのアパートに居た。昨夜、ビーフシチューをご馳走になってそのまま泊まったのだ。泊まったイコール、僕は弓子さんと一夜を共にした。
こんなことがあっても良いのか。一昨日の夜、僕は絵馬さんという女性と夜を共にしていた。今度は弓子さんという別の女性と夜を共にする。
とんでもなく遊び人じゃないか!
「早番だったんですが、遅番に変更です。今、何時だろう?」
「うーん、六時過ぎじゃない。良かったじゃない。ゆっくりできるわね」と弓子さんが言った。
「そ、そうですね。ね、寝ますか?」
「……寝よう」と弓子さんはそう言って、そのまま黙るのだった。ホントに寝たみたいだ。目が覚めたわけじゃなかったので、僕もそのままベッドに潜り込んで寝ることにした。
今は何も考えない。そう思いながらも、隣で眠る弓子さんが気になるのだった。
第31話につづく
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