「みんな愛してるから」第二章 百合子①
ローストビーフにチャーシュー。それからチキンロールに、ステーキ。
ビュッフェは最高だ。好きなものを好きなだけ、何度おかわりしたっていい。
普通のレストランの盛り付けは、美しいが物足りない。こんもりと肉の山を作り上げ、達成感を味わう。
いろいろな味が混ざり、いっしょくたになった食事を、百合子は大きな口で頬張る。
「……百合子さんは、お肉が好きなんですね」
百合子の耳には、浅倉文也のその言葉が、「よく食べる女の人っていいですよね」と翻訳される。
口の中で肉のジューシーさを味わいながら、ぱっと笑顔を向けた。よく食べて、よく笑う女の子は魅力的なものなの。百合子は自分の武器をよくわかっている。
話しかけられたらすぐに反応するのも、モテる女の鉄則。少々筋があり、飲み込むのに時間のかかるステーキを咀嚼しながら、百合子は話し始める。
クチャクチャという音が、おしゃべりしながらの食事の楽しさを引き立てる。
「ええ、大好き! 浅倉くん、知ってる? お肉って、実はあんまり太らないんですって! だからいっぱい食べても大丈夫なの」
美味しく食べてきれいになれるなら、百合子にとって願ったり叶ったりだ。
文也はいつもどおりの優しげな微笑みを浮かべて、自分が持ってきたサラダの盛り合わせのボウルを百合子の方に寄せた。
「でも、野菜も食べた方がいいと思いますよ?」
「えぇ~。でも、野菜ってどれだけ食べても、お腹膨れなくない? 勿体ないわよ。せっかくのバイキングなのに」
チキンロールの中にゴボウとニンジンが巻かれているから、十分だ。彼の寄越す皿に、ポテトサラダかマカロニサラダがあれば、百合子だって美味しくいただいていたのだが、残念ながら、葉物野菜ばかりだった。
安くはない料金を払っているのだ。味のしない葉っぱを胃に入れるのは癪だ。
骨付きのローストチキンを、百合子は手づかみにした。指も口も、脂でギトギトになるが、それが美味しさの証。
親指をひとしきり舐って、ふと百合子は、文也の皿の上の食べ物が、あまり減っていないことに気がついた。
「浅倉くん、食べないの? 美味しいわよ?」
「あ、はぁ……あまり食欲がなくて」
文也はサラダを口に運ぶ。皿の上には、パスタや温野菜、肉類も乗っているが、百合子の半分ほどの量しかない。
ダイエットが女だけのものでなくなって久しいが、やや痩せ型である文也には必要ない。
「男の子なんだから、食べなきゃだめよ」
うふふ、と百合子は指先の脂を舐めて、文也に流し目を送った。
浅倉文也は百合子の後輩だ。「初めまして」の挨拶で顔を上げた瞬間、百合子は彼に一目惚れした。
穏やかな微笑みを絶やさない。目をちゃんと見て、話をしてくれた。当時の新人男子は皆、百合子の蠱惑的すぎる肉体を直視してはいけないと目を逸らしたが、彼だけは違った。
百合子が指導をすることはほとんどなかった。短大卒で、業務が大卒の彼とは違っているせいだ。
だからといって、何の繋がりもなかったわけではなく、持っていた書類を廊下でばらまいてしまったときに、文也は「大丈夫ですか?」と拾ってくれた。しゃがむのに難儀する百合子は大いに助かったし、他の見て見ぬふりをした連中とはやはり違うのだと、確信を深めた。中身も好青年だなんて、と感激した。
中高、短大と女子校育ちの百合子にとって、恋愛は、漫画やドラマの中の世界の出来事であった。好きな俳優やアイドルはいても、自分の身に降りかかってくるものではなかったのだ。
母や姉に初めての恋愛相談を持ちかければ、ポテトチップスを貪る手を一瞬止めた。そして喜色満面、我がことのようにテンションを上げた。その夜は好物ばかり出てきて、「やだぁ。まだ付き合ってもいないのに」と笑ってしまったが、嬉しかった。
食後の茶を啜りながらの作戦会議で、百合子は「少し痩せた方がいいかしら」と言った。
人を体型で差別する、その辺の有象無象と文也は違うが、隣に並んだことで、彼が笑われるのは嫌だった。職場の女性たちは皆、横幅が自分の半分くらいしかない。
母と姉は、百合子とそっくりな体型を揺らし、大笑いした。
『今の子が細すぎるのよ』
『男はみんな、大きなおっぱいとお尻が好き。痩せたら両方なくなっちゃうよ』
そのアドバイスを、素直に受け取った。
この肉体は、醜いデブではない。豊満で、男の目の前にぶらさげられたごちそうなのだ。だからもっともっと、あなたのために魅力的なカラダになりますよ――彼を誘うのはたいてい、食べ放題のランチやディナーだった。
恋愛経験皆無の百合子は、文也に大胆に迫った。周囲には他にも、彼を狙っている女がいたが、それこそこの大きな尻で押し出し、恋人一歩手前のポジションを勝ち得たのだ。
ちゅぱちゅぱと指を吸いながら、意味を含ませた視線を送る。当然、性的な誘惑だ。あなたもこうしてあげるわよ、と。この辺りにいくつかラブホテルがあることは調査済みだ。きっと文也も知っている。
見るから草食系であるとはいえ、そろそろその気になったところだろう。
百合子は三十を過ぎても処女だ。キスもしたことがない。それを恥ずかしいと思うことはない。初めてをすべて、文也に捧げられるのだから。むしろ変な男相手に捨てないで、正解だった。誇るべきだ。
文也はすでに食事を終えて、口を拭いている。上品な仕草の彼が、自分をどう美味しく食べるのか。
想像するだけで百合子は口の中にまた、唾液が充満していくのを感じた。
アイスクリームでも食べて、まずは落ち着かなければ。
百合子は席を立った。
いただいたサポートで自分の知識や感性を磨くべく、他の方のnoteを購入したり、本を読んだりいろんな体験をしたいです。食べ物には使わないことをここに宣言します。