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「ごえんのお返しでございます」4話 きょうだいあい⑤

 我が高校の文化祭は、九月が始まってすぐ開催される。始業式が一日、文化祭はその週の土日。したがって、夏休みも返上して準備をしなければならないという、少々面倒な学校であった。

 もちろん、強制ではない。ないが、出席しないと当日の係を押しつけられる可能性がある。昼時や朝イチとか、みんななるべく避けたい時間帯に突っ込まれても、文句を言えなくなる。

 気軽にやり取りのできる友達がいない僕は、終業式にもらったプリントの束をひっくり返して、ようやく出校日について理解した。八月に入り、すでに三日出校日がもうけられていたが、スルーして大丈夫だったろうか。

 うちのクラスは文化祭で、お化け屋敷をする。教室という限られた空間を最大限に活かすための相談は済んでいて、段ボールや発泡スチロールで通路を工夫する。生徒会から借りられる暗幕の数には限りがあって、どう工面するかを会議したりしている。

 僕は特にすることもなく、人が足りていないところに、ぬらりひょんのように「最初からいましたよ」という顔でもぐりこんだ。

 雑用はいくらでもあって、猫の手も借りたいとは、まさしくこのこと。同級生たちは、クラスで微妙な扱いを受けていた僕のことを、なんとなく受け入れていた。

「なあ遠藤。こっちの作業、手伝ってくれね?」

 僕のことを直接敵視していたのは、実のところたったのふたり。言わずもがな、渡瀬と青山である。他の連中は、彼らに載せられたり、目をつけられたくなくて愛想笑いで追従していただけだった。

「渡瀬。君、目が悪くなったのか? 今、遠藤はこっちで一緒に作業をしているだろう。それに、君のように適当な指示しかできない人間と一緒だと、遠藤が苦労して、かわいそうだ」

 だから、こうやって仲間割れをしているのを目の当たりにして、僕のことなんて、みんなの頭から吹き飛んでしまった。

 美希がいたときには、彼らは仲がよかった。美希の寵愛を取り合っている
ようで、調和が取れていた。レクリエーションみたいな感じだった。

 ふたりが言い寄って、美希が軽くあしらう。遠藤は困った微笑を浮かべ、見守っていた。ひとりが欠けただけで、こんな地獄みたいになるなんて。

 今や遠藤は、本気で困惑し、ふたりに挟まれて泣きそうになっている。もともとおとなしい子だし、美希が死んでしまってから、塞ぎ込んでしまって、さらに内向的になっている。

 おろおろするばかりの彼女に、僕は声をかけることができなかった。僕が入っていけば、まず間違いなく、彼らは突っかかってくる。遠藤はかわいそうだが、僕は僕の身が可愛い。巻き込まれるのはごめんだった。

 ごめん、と内心で謝りつつ、周囲の様子を観察すると、反応がふたつということに気がついた。

 ほとんどの人間は、僕を遠巻きにしていたのと同じように、三人から距離を置いている。触らぬ神に祟りなしは、教室の共通認識であり、処世術だ。相手が誰であろうと、変わらない。

 問題は、一部の女子たちの遠藤に向ける視線が、同情ではなく、冷たいものであることだ。憎しみがこもっていると言ってもいい。

 忘れがちだが、青山も渡瀬も、タイプの違うイケメンだった。女子からの人気は当然高い。

 彼らの僕への八つ当たりを助長し、なんなら便乗して直接、言葉や態度で冷たくあたったのもこの層の女子たちが多かった。

 要するに、青山・渡瀬両名の気を、どうにか引きたいという連中である。美希ほどの圧倒的な美少女に対しては、悔しい気持ちを隠して、表向きはちやほやしていた。

 だが、美希がいなくなったと思ったら、遠藤だ。ブスではない。なんなら実は、清楚でかわいらしい子だということを、先日の一件で僕は知っているから、ふたりが遠藤狙いに切り替えたのも、無理はないと思う。

 大輪の薔薇を見慣れていた男たちは、その隣でひっそり可憐に咲いていたかすみ草の魅力に、いまさら気づいたという話。

 あとは、クラスの雰囲気だ。鈍感な僕も、恋愛関係でいろいろゴタゴタを経験したし、糸屋での経験もあってか、クラスの内外で、何組かカップルが成立していたことに気がついた。

 文化祭準備という面倒極まりないことであっても、彼女が隣で一緒に作業をしているだけで、デレデレと締まりのない顔をしている男たち。

 彼らを見て、美希に夢中になっていた自分たちが、一歩遅れを取ったことを悟ったのだろう。どちらも、自分が最上位カーストにいないと、気に入らない性分だ。

 自分よりイケていない連中に彼女がいて、自分にはいない事実が、許せない。

 ああ、そうか。だからか。


 遠藤に舌打ちをしてわざとぶつかる女子。彼女なら、少し口説けば喜んで腕にしがみついてくるだろうに、ふたりがそうしないのは、自分の価値を高めるためだ。

 美希にずっとひっついていたのに、いなくなって全然違う女に目移りするのは不実だ。それよりも、彼女の親友だった遠藤が心折れているのを支え、結果として結ばれる美談の方が、男としての株が上がる。

 ただし、遠藤はひとりだけ。美希と違い、ふたりの男を手玉に取れるような女じゃない。

 彼女を手に入れなければならないという脅迫観念は、僕にとっては、この数ヶ月で何度も見てきた、嫌な執着心によく似ていた。

 気づけば僕は、青山たちが揉めているところに突撃していた。見捨てる気満々だったけれど、また、赤い糸が大きな事件の元凶になったとしたら、後悔する。

 考えなしだったので、睨まれて普通に怯んだ。

「あー、えっと。そう、遠藤さん。さっき先生が探してた、よ……?」

 もっと上手に嘘をつければよかったのに。

 遠藤は、少し怪訝な顔をしてから、ハッとした。一度彼女を救っているので、ピンと来てくれた。

「う、うん。ありがとう。じゃあ、また後でね、青山くん、渡瀬くん」

 表面上は和やかに「おう」「ああ」と応じた彼らは、遠藤が教室から出ていくと、僕に詰め寄った。

 こうなることは予想がついていたから、近づきたくなかったのに。

 でも僕は、自分が傷つくことよりも、彼らの買った糸が、執着によって思いもよらない事件が勃発することの方が、恐ろしかったのだ。



 もうちょっといけば暴力、というレベルの八つ当たりからどうにか逃げだし、僕は教室を出た。

 遠藤は、まだ戻ってきていなかった。本当に先生に捕まっている可能性はある。何せ彼女は、断れないタイプだ。

 あちこちをうろうろしていると、図書室に着いた。夏休みの開館中とはいえ、文化祭準備に忙しくしている生徒がほとんどなので、あまり利用はされていないだろう。

 なんとなく予兆がして、僕は静かに扉を開けた。

 案の定、生徒はいない。三年生も受験勉強そっちのけで、最後の文化祭に向けて全力を出している。なにごともゆるい、うちの学校らしい。

 図書室の奥に進んでいく。なぜか息を殺しつつ。ホラーサスペンスの世界なら、絶対にナニかがひそんでいる。

 そして僕の予想どおり、高い本棚の陰に隠れている姿を発見した。

「遠藤さん」

 近づこうとしたが、彼女の顔を見て立ち止まった。頬が涙に濡れている。

 女の子の涙は、やっぱり苦手だ。僕のせいじゃないと明らかであっても、目の前で泣かれると、責任を感じてしまう。
 
 遠藤は、僕の存在に気づくと、涙を拭った。水滴が腕に移る。水の玉は肌の上で弾け、床へと伝い落ちていく。

 慰めの言葉を吐かなければいけない気がする。僕は目を泳がせつつ、

「遠藤さんが悪いんじゃないよ。あのふたりが変なところで張り合って、迷惑かけてるだけなんだから」

 いやはや、仲間内での恋愛沙汰は厄介である。美希のいかに、男あしらいが上手かったこと。しかし、同じことを遠藤に望むのは酷だ。

 ぐすん、と鼻を鳴らし、目を赤くした遠藤が僕を見上げる。その顔が可哀想で、同情した僕は、余計なことを口にしてしまった。

「……それに、あいつら別に、遠藤さんのことが本気で好きってわけじゃないし」

 遠藤の表情が変わった。一応は仲良くしていた連中のことを悪く言うのは、気を悪くしたのかと、肩に力が入る。

 だが、ぽかんとした少し間抜けな顔は、怒りとはかけ離れている。

「なに?」
「ううん……切原くん、意外とちゃんと見てるんだなって思って」

 当然だ。最近の僕は、特に心の機微には敏感なのだ。人を見る目がないと、糸屋では災いに巻き込まれる可能性がある。

 さすがにそんな個人的事情を話すわけにはいかないので、曖昧な顔で笑う。笑顔はあまり得意じゃない。遠藤は首を傾げたが、なんとなくごまかされてくれた。

「今の状況をどうにかするには、どちらかを選ばなきゃダメだと思うんだけど……」

 彼女の言い分に、僕は首を傾げるほかなかった。どうしてそうなる。

「え? なんであいつらから選ばなきゃなんないの?」

 遠藤はいい子だ。あんな暴力的で嫌な奴らにはもったいない。両方を選ぶのは不誠実だが、両方を振るという選択肢は、別に問題はない。

「男は他にもいるでしょ」

 僕とか、と軽口を叩いて遠藤を元気づけられるキャラではないことが、悔やまれる。

 遠藤は僕の話を聞いて、今度こそ大きく口を開けた。二者択一だと思っていたら、最後に隠しコマンドがあった、みたいな感じだ。

「好きな人、いないの? いや、あいつらのうちのどっちかが好きなら、それでいいんだけどさ」

 少し突っ込んで聞いてしまったのは、失敗だった。

 遠藤がみるみるうちに、元気をなくしていく。第三の男という選択肢もダメだったんだろうか。

 受け答えの様子から、好きな人はいるらしい。意中の相手がいても、青山と渡瀬の究極の二択から逃げ出せないあたり、なんらかの事情があるのかもしれない。

 ぎゅっと握った拳が震えているのを見て、僕は「あの」と、声をかけた。顔を上げた遠藤の目は、誰でもいいから助けてくれと、縋りついてくる。

「糸屋……『えん』っていう店が、商店街にあるんだけどさ」

 僕は糸屋のまじないについて、遠藤に紹介した。

 もちろん、十分に気をつけるように言った。ラッキーなことが起きても、それはすべて糸が運命をたぐり寄せたのではない。偶然もあるし、おまじないを行ったことで勇気ややる気に満ちあふれて行動した結果であることがほとんどなのだ。

「だから、もしも遠藤が本当に好きな人がいて、行動したいと思うなら、そういうのの力を借りてみるのも、いいんじゃないかな。あるいは逆に、誰とも一緒になりたくない、ひとりになって考えたいっていうなら、白い糸を選ぶのも、アリだと思うよ」

 しばらく彼女は、僕の提案について考えていた。

 遠藤なら、大丈夫だろう。妄信したり、悪用したりしない。か弱くてはっきりと意思表示をするのは苦手かもしれないが、あの三人に囲まれながらも卑屈にならなかったのは、彼女の心が強いからだ。

 かすかに頷いたのを見届けて、僕は「時間をずらして帰ろう」と、先に図書室を出たのだった。



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