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すべてのサラリーマンへ告ぐ。「朝、起きられない」が35年間を壊す。そして新生する。

今回からの記事は、今までと違う内容が多くなるかもしれない。
これが、黒歴史となるのかはたまた黒歴史と呼ぶにすら及ばないゴミになるのか。それは1年後のお愉しみ。

今日、ふと10年後の未来が想像できなくなった。
正確には、今のままキャリアを積み、いっぱしのサラリーマンになっている、というビジョンだ。

違和感はずっと覚えていた。
もともと僕は遅刻ばかりする人間だった。記憶にあるのは保育園のころ。
車で送迎してもらっていたのだが、朝8時からのアニメ番組にかじりつき、ノロノロモタモタと、牛歩のように玄関を出る時間を遅らせていたように思う。

小・中学校にしてもそうだ。遅刻ばかりしていたと思う。
高校に至っては遅刻どころか、遅刻の上に2限目くらいまで空き教室で時間をつぶす(休み時間を狙ったほうが怒られにくい)という、漫画みたいなさぼり方をしていた。

大学(正確には一浪した上に、定員割れで受かった大学校)は、高校のように毎日自クラスの授業にでる形式だった。そこでも構内の寮に住んでいたくせにサボリの常習犯で、教師が部屋まで乗り込んできたこともある。

こんな僕だ。就職するときには我ながら相当心配だった。
遅刻は朝起きられないのがほとんどで、解決の仕方がわからなかったからだ。しかし、そんな心配とは裏腹に不思議と10年間はほとんど遅刻しなかった。

なんだ、意外と大丈夫じゃん。そう思っていた。
それがおかしくなったのは、委員長(平リーマンで一番偉い。名前間違えられただけで、ビール券がやってきた。あと、某大手時計メーカの偉い人からラインが来る)になった時だ。

朝、起きられなくなってきたのだ。
目覚めてはいる。しかし布団から出る時間が徐々に遅くなる。
シャワーを浴びる。浴びながらぼーっとする時間が増えた。
こんなことがほとんどとなり、さすがに対策を考えた。

寝る時間を早くする、寝具を変える、筋トレをする、寝る前に風呂に入る、などなど、すべて根本的な解決にならなかった。下手をすると早起きの日は頭がさえた結果、憂鬱になり休んでしまった。

ただ、法則が見えてきた。
会議など、遅刻するとまずい、というものには間に合うのだ。
ということは、「僕は叱られるのが怖い」といった条件下でのみまともに出社することができる、ということだ。もしくは、面白いことがあるとき。
しかし、残念ながら、叱られるストレスにさらされるのは相当きついし、仕事も面白いどころか、職務遂行の責任感すらほぼ薄れていた。

そんな自己分析を続けた結果、
今日ついに「サラリーマン無理じゃね?」という結論に至ったのだ。

今はいい。遅刻をしていても、とがめられることもない。
しかし、今の役職を降りるときにはおそらく、違う職場で部下をもって仕事をするだろう。その時はおそらく堪えられない。僕を守るものはないのだ。

そんな未来を想像したとき、
「ああ、どうしても人と同じようにできない『当たり前』があるんだな。」と気づいてしまったのだ。

日本は、皆と同じことができればそれだけで評価される。
皆と同じ時間に集まり、皆と同じような考え方をする。

僕にはどうしても、集まる、ということができない。
いや、「~しなければならない」という強制に耐性がないのだ。

だから、捨てようと思った。
自分でもいまだ良くわかっていない「当たり前にはできないこと」。
「当たり前にはできないこと」を当たり前にやらなくて済むようにするために、僕はそれ以外を捨てようと思った。

地位・年収その他もろもろ、何を残せて何を捨てなきゃいけないのか。
本当に捨てる必要があるのか。この先やっていけるのか。
これから1年間、このnoteで思考を整理しながら、
35歳からのリスタートを切ろうと思う。

跡形もなく崩れ去るのか、新たな何かを形作るのか。
恐ろしいことだからこそ、どこかの誰かに見守ってほしいと思い、
この記事を綴ります。

最後まで読んでくれてどうもありがとう!
今は読みごたえがないかもしれないけれど、今後はもっと良くしたいです。
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