見出し画像

【短編小説】 副流煙

あの人はよく玄関でタバコを吸っていた。
部活で遅く帰っていた俺とよく鉢合わせていて、その嗅ぎ慣れないタバコの匂いがあまり好きじゃなかった。
タバコを吸わない母と俺を気を遣っていたのだろう。それと、帰るとすぐに自室に籠る俺を気に掛けていたのだろうか? でも一言、言葉を交わす程度だった。
別にあの人の事が嫌いだったわけではない。

でも好きでもなかった。
母と2人の生活に知らない人間が入りこんでくる。
その違和感を、ずっと取り除く事ができなかったから。
紹介したい人がいる。
突然だった、あの人が来たのは。

俺はずっとあの人を父さんと呼べなかった。
血の繋がった父とは2歳の頃に離婚していた。
俺は顔すらも覚えていない。
それからは、中学の途中まで母と2人で住んでいた。
最近仕事を辞めたからか、よくあの人の最期を思い出す。
暇でぼーっとしている時間、考えるのは仕事のことかあの人のことだ。

中学生で思春期真っ盛りの俺には、
母親の女の部分が見えた気がして気持ち悪く感じた。
2人から3人に変わった生活は、良くも悪くもなかった。
あまり接点の無かった俺は、詳しくは覚えていないが肺がんで入院していたことは覚えている。進行が早く他の臓器にまで転移をしていて、余命宣告されていた。
その頃には、あの人が家に来てから4年が経っていた。
母1人で生活費と治療代で稼ぐのは高校生だった俺でも大変だと思い、自分の分程度でも、と部活を辞めアルバイトを始めた。
母はほぼ休み無しで働いていた為、母と日曜日に着替えを渡しに、俺1人、週3であの人に会いに行ってた。
こんなに一緒に居るのは4年間の中で初めてだった。
これまで仲良くしようとしてくれていたのは分かっていた。休みは家族との時間を作ってくれていた。母抜きで一緒に出掛けたこともある。
初めてあったあの日に比べると、徐々に溝は薄くなっていたし、違和感ももう無くなっていた。
ただ、俺はまだ父さんと呼ぶ勇気が出なかった。

あの人から香るタバコの匂いが衣類を洗濯していくたびに段々と消えていった。
それと比例していくように、あの人も弱っていった気がした。

ずっと名前で呼ぶ俺を、
あの人はどう思っていたのだろうか? 

高2の秋、俺はあの人を父さんと呼べないまま眠るように死んだ。
ずっとそうだ。これまでの人生で、俺は、ことばを、思っていることを、口に出すことを怖がってきた。
あの人の件だけじゃない。 

俺はなにを恐れていたのだろうか? 

俺は、精神的に仕事を続けることが難しくなり会社を辞めた。
高校の頃からなにも変わってなかった。
ずっと後悔してきたはずなのに、何も変われずにこの歳になった。
年齢が近づいても、まだあの時あの人がなにを考えていたのか分からない。

たった4年のあの日々が強く印象に残っている。
母は俺が家を出てから別の人と再婚し2人で暮らしていた。
俺だけなにも変わっていなかった。
そう思いながら、台所にある小さなイスに座る。
コンロには、あの人が使っていた灰皿。
あの人が吸っていたピースの吸い殻が当時と変わらずそこにいた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?