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余命10年

3連休×濃厚接触者の不憫な私のため
公開していた時から気になっていた
映画 「余命10年」
を観て、ごみ箱がティッシュでてんこもりになった話をさせてほしい。

『余命10年』2021年公開
出演:小松菜奈 坂口健太郎 他

『余命10年』公式サイトより

感想をつらつらと・・

和人が茉莉に好意を伝えるも、茉莉は「変な女だから、、」と卑下して好意を拒む

冒頭からずっと茉莉への印象は、凛とした雰囲気で、誰からも悪い印象を持たれなさそうな女の子。だけど、発する言葉には少し寂しさを感じた。
自分の病気のことを知らない和人がこれから先自分と接していくことで、すでに決まっている悲しい未来を経験させたくないと思ったのか出た言葉だと思う。普通の人生を自分といたら歩むことができない、それが彼にとって不幸でそんな思いをさせてしまう自分。自分という存在への価値が自分で見出せなくなってしまっていたが故の発言なんだと思った。でも、そこまで和人に悲しい思いをさせたくないと思えていることは、もうすでに茉莉の中では和人に対して特別な感情を持っていたのではないかなあと思った。

他人が感じる感情は、容易に想像がつくし、そう思いながら生活するようになっているけど、私は最近、自分が考えているほど他人が抱く感情は、自分が想像するよりももっと複雑で、自分にはわかるはずがないのだなと感じることが多い。

同時に、自分はとても複雑に物事を考るような人間なので、大親友や、家族にすら、理解されることを期待していない。だけど、こういう自分に対しても分かろう、知ろうと思って接してくれる人はいるわけで。

自分は、20数年しか生きていないけど、かなりもう他人に対して期待もしていない。だけど、そういった人とかかわると、単純に嬉しいのだ。

自分に興味を持ってくれるのって、自分が何でもない人ではないような実感が持てる。

(こういう話をしていると自分の自己肯定感の低さにびっくりするのだが・・その話はまた今度にします。)

だから、このシーンでは、茉莉は自分の中でたくさんの葛藤をして、この時点での茉莉が出せる最善の回答をしたのだなあと思い、胸が苦しくなった。
死と向き合うことなんて、今の自分には考えることができない。けども、映像の静かさや、茉莉の表情が、観ているこちら側にもさまざまな感情を抱かせてくれた。

久々に映画を見て、様々な感情になったが、最後には、今生きている自分の人生を一生懸命に生きることを後押しされた気持ちになった。仕事や人間関係、自分の生活にすら疲れていて、幸せや楽しさを感じることを避けていたような私の日々に光が差したように思えた。

また良い作品に出会えますように。

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