窮屈の正体
いろんな方と接する中で、一貫した強い意志を持って物事を進めていくチカラのある人なので、周りからの信頼は厚いのですが、なんだか窮屈そうに見える方がいます
一方で、その時々の興味でコロコロと方針を変えてしまうので、兎角周りは翻弄されますが、推進力や躍動感が失われず活き活きして見える人もいます
その違いは、きっと、自分で決めたことに縛られているか否か、かなと思います
人は変化する生き物です
それは、故意であれ、無意識であれ、確実に誰にでも起こります
心身の成長もまさにそうです
変化を止める事は、ある意味成長を否定する事に思います
加えて、拘りって、自分と人で見え方が違います
額縁という言い方で例えると、自分が拘って作り上げた額縁と、人から見えているそれとは、外観も質も大きな違いがありますし
自分が自分の額縁に感じている熱量ほど、その額縁への人の興味の熱量は高くありません
もし、自身がその額縁に窮屈さを感じている場合、額縁の見え方にどうしても違いがあるならば、そこに留まり続けてもあまり意味がない様に思うんです
それよりも物事を進めていく躍動感や鮮度の方にこそ訴求力がある様に思います
経験則ですが、自分にとっても、人にとっても、ここには共有部分が多い様に感じています
何に拘っているかは、もちろん大事です
だけど拘りは、その人との接点の入り口に過ぎなくて、一度入り込んでしまえば、そこからは躍動感や鮮度といった新陳代謝が、関係性を維持するには大切に思うんです
だって自分も変わる様に、人も変わりますからね
当の本人が自分の変化を認めずに、窮屈にしている様は、残念ながら人から見て魅力的には映らない様です
前言って撤回するべき物だと、僕は思ってます
その時感じた自分のベストな選択に嘘がなかったのなら尚更です
ベストにも、人にも、鮮度が大事だと、この年齢だからこそ、強く思ってます
#推進力
#躍動感
#変化
#成長
#前言撤回
#和歌山パン屋
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