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自己破壊欲求と行動を引き起こすクソみたいな風景

先日、大学時代の女友達と飲んだ。
信じられないことに、彼女はこの駄文の連続を読んでいるらしい。とても驚いた。まさかまともに僕が書いた文章を読んでいる人間がこの世界に存在していたとは。

今日はタイトルにある通り自己破壊欲求について書きたい。
もし君がこの記事にも目を通しているならば、少しの間お付き合い願う。

ぶっ壊すために積み上げる

突然だが、僕の生い立ちについて話そう。

僕は東京都世田谷区に長男として生まれた。
家族構成としては、僕がいて、姉がいて、そして両親がいた。

幼稚園から反吐が出るような金持ちが集まる私立に入園した。
そこはエスカレーター式で幼稚園から大学まで上がれる、いわば金を払っていれば大学まで上がれるようなそんな環境だった。

戦後すぐに創設されたその学校は、近年話題になっているアクティブラーニングの先駆ともいえる教育方針を掲げ、詰め込み教育を否定し、子供の自主性を育てるために勉強よりも遊びを重視するような学校だった。
そのせいか小学校の間はとても楽しい日々を送り過ごすことが出来た。教育レベルも高く、自由にのびのびと遊ぶことが出来た学校では、僕はなに不自由なく生きていた。

中学校に上がってからは、僕は一つの違和感を感じ始めた。それはエスカレーター式という特性上、外部からのわずかな入学者はいるものの、ほとんどの同級生、また彼らが構成するグループが変わらないということだった。
その変わらないグループは、ほとんどが幼稚園、または小学校からその学校に入った人間で、つまりはとんでもなく金持ちの家の人間が多いということを意味していた。

村上春樹のデビュー作である「風の歌を聴け」に登場する鼠のように、僕もまた金持ちの家の子ではあったが、金持ちが嫌いだった。そんな僕がそのような環境で自我を抱えながら自由にのびのびと生きることなど出来るわけもなく、僕はある日を境に学校に通うことをやめた。毎日自宅に篭り、笑っていいともを見ながらルービックキューブを回す。そんな日々が半年ほど続いた。

親はどうにかその学校での進学を望んでいたようだが、僕はそんな生活まっぴらごめんだった。勘違いしないで欲しいのは、僕がなんのストレスもなくただ不登校をしていたわけではないということだ。僕だって自分なりに、その時あった状態を続けようと少なからず努力したわけたが、ある瞬間を境にそんな努力を全てぶっ壊したくなった。

14歳になった僕は、「親の金もあるしぶっ壊すなら派手にやってやるよ」という半ばヤケクソになり、自分でGoogleで「沖縄 転校 留学」といったキーワードを打ち込み、ある離島の山村留学プログラムを発見し、親にプレゼンを行い、母親と実際にその離島を訪ね、そして沖縄に転校した。引きこもりすぎて頭がおかしくなっていたが、なにより都会で塞ぎ込んでいるより、南国の海で泳いでいた方がまだ有意義だと判断する理性は残っていた。

今から振り返れば、この行動こそが僕の自己破壊欲求から引き起こされた最初の行動だと言えるだろう。しかしながら、この場合はポジティブな側面の方が多かったため結果オーライとも言えた。

次に自己破壊欲求が生じたのは17歳の時だった。沖縄の中学校を卒業した僕は、当時ニュージーランドに留学していた姉の影響もあり、カナダに留学していた。

カナダの11月を君は想像できるだろうか。信じられないことに晴れの日が1日もないのである。そんな中でセロトニンが脳内で生成されるはずもなく、僕は自殺しようと思い、海へ足を運んだ。でも多くの17歳がそうであるように、実際に既遂に至る勇気もなく、ただただ海に足を運ぶ毎日が続いた。

この場合は行動としてはなにも起こせてはいないが、自己破壊欲求が希死念慮という具体性を帯び始めた最初の段階だったと分析できる。

そんなこともあったが、僕はなんとか高校を卒業し、大学は日本に帰国することを決めた。これぐらいの時期から我が家の経済状況は傾き始めていたのだろうが、その理由とは別に僕は母語が通じる環境へと帰りたがってしまっていた。つまりはホームシックである。

大学受験は質の良い予備校に通うことが出来たこともあり、私立の文系大学では中々に良い大学に入学することが出来た。この大学への入学は、僕の中ではまともなレールに遠回りして戻ってきたという印象だった。14歳でドロップアウトした人生から、ようやく順風満帆人生に回帰したわけである。

しかし、その順風満帆人生も続いたのは3年ほどだった。ほとんどの大学生がぶち当たらざるを得ない日本の悪しき風習、「就活」によって僕の自己破壊欲求は再びじわじわと心の底から湧き出てきた。

いや、正確には原因は就活だけではない。同級生がインターンなどに行っているのを見て違和感を感じていたのは事実だが、この時期の爆発は僕の私的恋愛感情と家庭環境の変化から生み出されたものだった。

当時付き合っていた学年が一つ上の彼女に別れを切り出され、その翌日に離婚していた父親から中国人と再婚するという話を切り出された。当時を振り返ると、僕の頭と心は完全に壊れていたと思う。だって誰がそんな状況耐えられるというのか。僕の周りから心強かった仲間が2人も同時に消えてしまったのだから。

それから頭がおかしくなった僕は、毎日アルコールを摂取するようになった。周りは着々とまともな社会人になるためのステップを踏んでいるにも関わらず、僕は着々と堕落した人間に向かっていた。そんな中、4月のある晴れた日に、仲がいい友達と後輩の女の子2人と飲むことになり、外で酒を飲んだ。そのうちの1人の女の子と気が合った。僕はとにかく仲間を欲していた。とても寂しかった。

その子と親密な関係になろうと思ったが、結果としてそれは叶わなかった。当たり前だ。堕落した人間に手を差し伸べるほど優しい人間はそういない。僕だってそんなことはしない。人ってそんなものだ。

その出来事がトリガーとなり、過去最大の自己破壊欲求の爆発が起きた。ドアのぶとベルトで何度も死のうとして、ウイスキーで意識が朦朧とする中、どれくらいの期間かわからないほどを真っ暗な自室で過ごした。

その後なんとかギリギリで意識を取り戻した僕は、森に籠る決意をした。父親が軽井沢に別荘を持っていたのだ。金持ちが嫌いなくせに、僕は毎回その金に助けられている。とても弱い。

森の力は偉大だった。半年ほどの休養で、僕の精神状態はだいぶ良くなり、大学に復学した。そして無事に卒業することも出来た。

しかしまともな就職はしなかった。学歴を得て、それを就活に使うことなど、僕にはとんでもなく俗的なことだと思えたからだ。これを読んでいる君は大学の志望動機を覚えているだろうか。僕は自身の経験的言語習得と体系的な第二言語習得の違いを学びたいという内容だった。つまりは大手企業に就職するために大学に入学したわけではないのだ。

大学の折り返しくらいから好きになったコーヒーを極めたいという一心から、自家焙煎をしているロースターに無給で良いから見せてくれと頼み、そこのメンバーと仲良くなり、シェアハウスで共に暮らし、そして今僕が携わっているコーヒーロースターを立ち上げた。こう見ると面白い出会いの連続だ。

このように、僕は正規ルート→ドロップアウト→正規ルート→ドロップアウトという流れで生きていることがわかる。このドロップアウトをする瞬間の動機こそ、自己破壊欲求なのだろう。

そして今、自分がいるコーヒーロースターが少なからず自分の中では正規ルートとなってきている。そして僕はまた自己破壊欲求を感じている。問題である。

しかしこれまでと異なるのは、今の環境が大好きで少なくともまだこの環境に居たいと感じている点である。なぜならこんなに面白く、興味深い環境はそうそうないと頭の悪い僕でもわかっているからである。

実は僕はすでに一つ自己破壊を達成してしまっているのだが、明記はしない。まだ明記できるほど自分の中で咀嚼できていない。

いつか僕は自分のこの欲求によって死んでしまうのではないかと思うが、それはそれで良いかなとも思う。おそらくそれこそが一番の問題だが、これまでに感じてきた人生単位のストレスからおかしくなってしまった僕の頭はもう軌道修正不可能だと思う。クソ食らえだ。

自己破壊欲求から起こされる行動を取る前の風景はハッキリ言ってクソだ。みんな脳が死んだように生きていて、とてもげんなりする。やれやれ、もう少しみんな感性を働かせて生きてくれよ。世界の解像度をそんなに下げて生きて楽しいのかよ?

なに言ってるか全然わからないって?よろしい。君がそんなこと言うならば、僕が今すぐ破壊してやる。さようなら世界。


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