庄司庸平/湯田川温泉 隼人旅館

山形県鶴岡市 湯田川温泉にある隼人旅館へ婿入りした農家生まれで空手家で山伏。

庄司庸平/湯田川温泉 隼人旅館

山形県鶴岡市 湯田川温泉にある隼人旅館へ婿入りした農家生まれで空手家で山伏。

最近の記事

【新徴組】の最期

新徴組本部跡、湯田川温泉 隼人旅館の庄司庸平です。 幕末の江戸において庄内藩の下、市中取締りの任に就いていた【新徴組】。 戊辰戦争が始まると、庄内藩の江戸引き上げと共に庄内の地に赴き、庄内藩と共に戊辰戦争を戦いました。 慶応4年、庄内藩は一度も敗戦を経験せずに新政府軍に降伏。その間、新徴組士は5人が戦死・戦病死しました。 庄内藩は明治2年に大泉藩と改称し、藩では大宝寺村に組屋敷を建設して、新徴組士は湯田川から移り住みました。 松ヶ岡の開墾 明治4年7月の廃藩置県で

    • 戊辰戦争開戦のトリガー【新徴組】

      新徴組本部跡、湯田川温泉 隼人旅館の庄司庸平です。 慶応3年(1867年)10月14日、第15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返上(大政奉還)し、鎌倉時代から700年続いた武士による政治が終わりました。 しかし、政権を運営する能力も体制もない朝廷の委任により政治、外交をそのまま幕府が担うことになりますが、12月9日、大久保利通、西郷隆盛、岩倉具視が幕府抜きの新しい政治体制を確立するためクーデターを起こし、明治天皇より「王政復古の大号令」が発せられ、江戸幕府廃止、同時に摂政・関

      • 江戸のお廻りさん 新徴組事件簿②

        新徴組本部跡、湯田川温泉 隼人旅館の庄司庸平です。 幕末の庄内藩の下、江戸市中取締りの任に就いていた【新徴組】。 今回は新徴組士・千葉弥一郎の回想禄から新徴組関連事件のお話しを2つ。 猿若町 酒屋強盗事件慶応3年(1867年)4月23日、新徴組のお廻り隊が吉原方面に向かう途中で大雨になったので、浅草猿若町町1丁目の自身番屋(江戸時代、大都会の町地に設けられた自警組織の一つ「自身番」が使用した小屋。 )で休憩して夜食の弁当を食べていました。 その時、近所の酒屋の者が駆け込

        • 江戸のお廻りさん 新徴組事件簿①

          新徴組本部跡、湯田川温泉 隼人旅館の庄司庸平です。 幕末に庄内藩の下で江戸市中取締りの任に就いていた【新徴組】。 慶応元年(1865年)2月には定員が160人と決定し、3月には鉄砲稽古も開始されました。4月15日、幕府は新徴組に対し、江戸の昼夜廻り(パトロール)を一手に命じました。 今回は通称「藤岡屋日記」見られる新徴組関連事件のお話しを2つ。 旗本切り捨て事件慶応元年(1865年)12月12日夜、新徴組六番隊が市中廻りをしていたところ、神田明神前において無提灯で馬に乗

          江戸のお廻りさん 新徴組の組士ってどんな人たち?

          新徴組本部跡、湯田川温泉 隼人旅館の庄司庸平です。 文久3年(1863年)、清河八郎の献策によって集まった浪士組が、将軍上洛の露払い役として上京します。しかし京都で二つに分かれ、京都に残った方が【新選組】に、江戸に戻った方が庄内藩預かりとなり【新徴組】になりました。 今回は新徴組の組士についてのお話し。 組士の出自と出身地文久3年(1863年)の新徴組組士375人のデータによれば、身分の判明する184人の内訳は、 浪人 105人 百姓 48人 藩士 13人 旗本家来 4

          江戸のお廻りさん 新徴組の組士ってどんな人たち?

          江戸のお廻りさん【新徴組】の誕生と清河八郎

          山形県鶴岡市、湯田川温泉 隼人旅館の庄司庸平です。 突然ですが、【新徴組】をご存知でしょうか? 【新選組】ではありません、【新徴組】です。 新徴組は幕末に江戸市中を巡回警備していた浪士組。 現在、交番勤務の警察官をいう【おまわりさん】の語源にもなったという新徴組。 私が営んでいる隼人旅館は、江戸の終わりから明治の初めに、この新徴組の本部として使われていた時代があります。 なぜ、江戸から遠く離れた湯田川温泉、隼人旅館は新徴組の本部になったのでしょうか? 今回は新徴

          江戸のお廻りさん【新徴組】の誕生と清河八郎

          私が隼人旅館館主、庄司庸平です。

          はじめまして! 庄司庸平と申します。 山形県の海側、庄内地方の鶴岡市、湯田川温泉で隼人旅館という温泉旅館を営んでおります。 湯田川温泉 隼人旅館 創業不明、江戸時代の宝永年間(1700年代はじめ)に描かれた地図には既に旅館として記載されています。 8室の小さな旅館で、ほぼ家族経営。自慢は何といっても源泉かけ流しの湯量豊富な温泉です!湯田川温泉は源泉の温度が約42℃なので、加温も加水も一切なしの温泉が浴槽に毎分約70ℓ注がれています。 幕末に庄内藩の下、江戸市中取締りの任

          私が隼人旅館館主、庄司庸平です。