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クランクアップ時に感じた「映画の真骨頂」

あしきた映画が、5/10にクランクアップしました。

正直なところ、3シーンの欠番。予定カット数を大幅に削減するなど、妥協だらけの現場に見えたが、これが不思議なもので、想像していたイメージより、遥かに良いものが撮れている。

様々な理由から訪れる「シーン欠番」という決断だが、そうなると、そこにいるスタッフやキャストが、欠番した場合の最善の策を考えることになる。
この策が映画に良い結果をもたらすことが多い。

映画は、ナマモノ。
その瞬間の空気感や関わる人の温度で微かに変化する。

特に感動的だったのは、最後の最後に撮影したシーン。
キャストの時間もあり、どんなに粘れてもあと一時間!というときに、僕は「踏切のシーン」を要望したが、撮影部から「踏切にいい光が入ってない。場所を変えた方がいい」と言われた。

そこで、海沿いの道にシーンを変えた。
テストで試しにそのカットを見たところ、最高に良いシーンだった。
あまりにも最高だったので、「台詞を付け足したい」と申し出た。

これにより、映画のワンシーンの演出が大幅に変わった。

そのシーンが変わったことにより、ラストシーンも変わることになった。

こうやって、映画は現場で揉まれ、良い物になっていく。

クランクアップのとき、出演した女の子が「次に会うときは、私と一緒に映画を撮ったことを誇りに思ってもらえるような女優になる」と宣言した。こうやって映画はみるみるうちに人の人生を変えていく。

言葉にしなかった人も、少なからずこのプロジェクトにより、長い人生の中で感じたことのない何かを得た気がする。


一年以上にわたり、新時代の映画作りや、映画によるコミュニティ形成を考え続けたが、それはいつの間にか、家族のような絆を生んでいて、僕の想像を超えてきた。

映画はここまで人を巻き込み、人を繋げる。
これは本当に今の時代に求められる現象ではないだろうか?

どんなに映画論を言っても、仮説を立てても、結局行き着くのは「人」であり、「人」が映画を創作し、「人」が映画を鑑賞し、「人」が映画を広げ、世界を変えるのも「人」だ。

地方で現地の人と映画を撮るという制作手法のなかでも、ここまでの規模はおそらく日本初。

あしきた映画は、今後の日本映画界に、何かを残すかもしれない。

新時代は、もう動き出してる。

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