見出し画像

24歳、無職になりました。

はじめまして!片野隼人(かたのはやと)と申します。
記事を見ていただきありがとうございます。

この記事では、ただの凡人大学生だった僕が、路上で靴磨きから始め、年間5000万円以上の売り上げを作れるようになるまでの経緯。そしてこれからどうしていくのかという決意表明を書いていきたいと思います。

この記事はこんな方には参考になるかなと思います
・副業を始めたい
・フリーランスになりたい
・起業したい
・今の人生に満足できていない
・何か始めたいけど何から始めたら良いのか分からない

忙しい人のために結論から言うんですが。
2年半勤めた会社を辞め、独立しました。”
無職です。仕事ください(笑)

です。

…というのは本当なんですが、これを伝えたいわけではありません。

まだ24年しか生きてきていませんが、人生を振り返って
それなりに面白い人生を歩んできていると思っています。
それなりに失敗も成功も挫折も経験してきました。

その経験、そしてこれからの展望を共有することで。

これから挑戦したいと思っている人の一歩踏み出すきっかけを作れたらなと思い、退職というこの大きな節目で人生を振り返ってみようかなと思い、筆をとってみました。

5分だけ時間をください。
後悔はさせません。

まずは、自己紹介させてください

「お前誰やねん!」となっている人もいると思うので簡単に自己紹介させてください

名前:片野隼人(かたのはやと)
誕生日:1999年5月10日
出身:和歌山県和歌山市
経歴:
・和歌山商業高校卒
・大阪経済大学経営学部卒
19歳 路上で靴磨き月10万円達成
20歳 所持金0円ヒッチハイクで日本縦断
21歳 フリーランスデザイナー 月40万円達成
22歳 webマーケ会社に入社
23歳 SNSマーケを軸に年間個人売上5000万円達成
24歳 独立。無職。⇦イマココ

大学に入ったのをきっかけに個人でビジネスをしようと決めて。ちょっと変わったキャリアを歩んできました。細かく振り返りながら話していこうと思います。

生まれてから高校まで

幼少期に関しては特に話すこともないと思いますのでサラッといきたいと思います。和歌山県に生まれ、そこそこの田舎で育ちます。

どんな感じの子どもだったかと一言で表すと
「ちょっとだけヤンチャなバスケ少年」って感じです笑

中学に入っていわゆる『悪い人がカッコいい』という気持ちが芽生えてバスケ部の少し悪めな先輩とつるんだりしていました。今振り返ってみるといじめっ子気質だったと思います(本当にイタイ記憶です笑)

今の僕を形成する大きなターニングポイントだったのが中学2年生の後半です。

ある日、仲が良かった友達と遊ぼうと話をしていた時に
「ハヤト、いじりにくるから遊ぶの嫌や。」
と言われたんです。

何気ない一言でしたが
「俺は人が嫌がることをやっていたんだ。」と我に変えることができてめちゃくちゃ真面目に勉強、そして人の気持ちをよく考えるようになりました。(後になって気づくんですが、このきっかけが僕の対人コミュニケーション能力を作ってくれたんだと思います)

これまで勉強も全然せず、学校を抜け出したりして内申点もボロボロだった僕ですがそこからもう勉強し始めました。

当初、そこまで頭が良くなくても入れる工業高校を目指していたのですが思っていたよりも賢くなりまして、地元では中の上ぐらいの高校に入ることができました。決して賢い学校ではないのですが、想定していた高校よりも上の高校に入ることができたので一つの大きな成功体験になりました。

高校に入ってからは、本当に普通の高校生活を送りました。
バスケ部に入り、勉強も普通にして、体育祭の応援団の団長なんかをやってみたり、成績は超普通で、8年間続けてバスケもレギュラーで出れないぐらいでした。料理人になりたかったので部活が終わってからは居酒屋のバイトを始めたり…

とにかく本当に普通でした笑

そんな普通の生活の中、大きな転機になったのが進学です。
料理人になりたかったので調理師資格が取れる専門学校を進学先として決めていたのですが、ある日、バイトをしていた居酒屋の店長と話をしていたところ

「料理人はいつからでもなれる。
 とりあえず大学行ってからでも遅くない。」

…と言われたのがなんだか腑に落ちて急遽、進路を変更します。
担任の先生からはめちゃくちゃ煙たがられたのを覚えています笑

そしてギリギリ指定校推薦をもらい、大阪経済大学に入学します。この選択が大きな人生の転機になるとは思いもしていませんでした。

大学1回生

晴れて、大学生になった僕は超普通の大学生ライフを送り始めます。
講義にちゃんと出席し、サークルにも入り、バイトもして、帰りは一人暮らしをしている友達の家に転がり込みゲーム…

これまた、めちゃくちゃ普通でした笑

ただ、そこでふと頭をよぎったんです。

「あれだけ入った方がいい。と言われ続けた大学だけど、めちゃくちゃ暇なだけだ。何をすればいいんだろう。」

充実はしていたし、バイトもしていたのでそれなりに忙しかったんですが”暇だ”と思って「これでいいのか?」とすごく疑問に思い始めたんです。

現代っ子だった僕はすぐに検索します。
”大学生 やるべき事”

そこで一番上に表示されたのがブロガーをしている人の記事でした。そこには大学生のうちにやっておいて良かったことが実体験ベースで書かれていました。

「ブログを始めて良かった」
「留学に行って良かった」

…など、色々書かれているその中でめちゃくちゃ『これ良いな!』って思ったのがあって、それがヒッチハイクでした

すごくキラキラした笑顔で、〇〇方面と書かれたスケッチブックを持って、乗せてくれていた老夫婦と一緒に移った写真がはってありました。

これだ!!!!

そう思った僕はすぐに計画を立てて、大学生始めての夏休みを使って和歌山〜岡山県にヒッチハイクを実行しました。

水害のボランティアに参加するという名目で、ガクガク震える足を動かしながら〇〇方面と書いたスケッチブックを片手にスタートして無事、ボランティアをして帰ってくることができました。

これが本当に今の僕を形作ってくれている大きなターニングポイントになりました。

ヒッチハイクの話をすればこの記事が莫大な文字数になってしまうのでここでは省略しますが、一つ大きな気づきがあったんです。

それが
「俺ってめちゃくちゃ助けられながら生きているんだな。」でした。

ヒッチハイクって”もらう”ことが多いんですよ。
目的地まで乗せてもらえるだけじゃなくて、お菓子をくれたり、ご当地のグルメをご馳走してくれたり、飲み物を買ってくれたり、温泉なんかもご馳走になったりもしました笑

そして参加した岡山県の水害ボランティア。
他にも参加している人に話を聞くと、夜勤明けですぐに車を走らせて来たという人。毎週土日の休みはボランティア活動に充てている人。

そして、各地から集められた支援物資。

なんだか、支えられて生きているんだな。って。

両親がいなかったら生活できていなかっただろうし。普段買っている服、お米、魚やお肉。パソコン。車。ネット。家。など

お金を払ったから買えているのではなく、作ってくれる人がいるから買えているんだと強く実感しました。

ここで芽生えた感情が今の僕の大きな原動力になっています。
『貰ってきたものを、さらに大きくして、たくさんの人に還元したい。』

簡単に言うと
『めちゃくちゃ良い影響を与えまくれる人になりたい。』と言う感情でした。

そこからというものの、ヒッチハイクから帰ってきた僕はどうすれば『めちゃくちゃ良い影響を与えまくれる人』になれるのかを考え始めました

ネットで調べ、今まで読むのが本当に嫌だった活字の本を読み、お金がなかったのでブックオフや大学の図書館に行き始めました。

そこで出会ったのが、有名なキングオブ自己啓発書「金持ち父さん、貧乏父さん」でした。

知らない人のためにざっくり要約すると、お金持ちなお父さんと貧乏なお父さんの二人から対局的な教えを受けた息子が成り上がっていく物語です。

とにかくやる気が出る一冊です笑

そこで『めちゃくちゃ良い影響を与えまくれる人』の答えが出ます。

”そうだ、社長になれば良いんだ。”

社長になり、お金持ちになれば莫大な金額を寄付することもできるし、ビジネスを通して多くの人の役に立てる。さらに実績があるから発言に説得力が乗ってくる。人が挑戦するきっかけを作れる。めっちゃ良いじゃん!…と目標が明確になりました。

これが、今も僕がビジネスを頑張る理由であり最大の目標です。

大学2回生:とにかく始めてみた靴磨き。

社長になる!と意気込んだは良いものの「何から始めたら良いのかわからない。」という壁にぶちあたりました。

本を読み漁るも「結局何したらええねん!」と全く活路が見えませんでした。

それでも、社長になる。と決意をしていた僕は自己啓発本に書かれていた「目標を宣言しよう。」という言葉に希望を見出し、実践してみます。

『一年以内に事業を立ち上げてお金を稼ぐ!』
『社長になる!』

なんの計画もなくとにかく言葉に出してみました。友達との会話。Twitterでの発信、プレゼンテーションの授業で発言…とにかく言いまくる事を目的に言いまくっていました。

…その結果、、、友達が減りました笑

ちなみに、大学4年間で今もつながっている友達は2人だけです笑
そうです。ボッチです。

そんな宣言チャレンジをしていたところ、あるきっかけが生まれます。

「めちゃくちゃ面白いね、君。ちょっと靴磨きから始めてみたら?」

、、、、、     は?笑

よく分からない事が起きました。話を聞いてみると、独立系ファイナンシャルプランナーの修行として使われているのが路上で靴を磨く。というものだそう。

それをやってみたらどうかという誘いでした。

もちろん。とりあえずやってみよう精神だった僕は
「是非、やらせてください!!!」と二つ返事をしました。
これまた大きな転機を迎えます。

人生で始めての挫折。鬱。

そして始まった路上で靴磨き。
靴磨きの道具はもちろん、やり方も全くわからないど素人でした。

すでに靴磨きをしていた大学の先輩が1人いたので、その人にやり方を聞いてすぐに実践してみました。

購入したのはAmazonで3000円ぐらいの『初心者,靴磨きセット』。超絶小さいブラシが入った道具でした。その道具と100均で買ったホワイトボードに「靴磨き。夢を語らせてください。」と書いて片っ端から声かけを始めました。

大阪、南海難波駅の路上喫煙所でタバコを吸っているサラリーマンに一日100人以上に声をかけます。

『そんな事やっても無駄』
『靴磨き?アホなんじゃないの』
『話し方が全然魅力的じゃない。起業なんて無理』

今まで聞いたことがないような罵声をたくさん聞きました。本当に挫けそうでした。そんな中でも応援してくれる人もたくさんいました。

『頑張って』『応援してる』
『めちゃくちゃ良い挑戦だね』

そう言ってお金を払っていただける人も徐々に増えてきて、リピーターも徐々につき始めました。

人生で始めて自分の力で稼いだあの感覚は今でも忘れられません。靴磨きでドロドロになった手のひらに乗った小銭達。自然と涙が出ました。

それから、和歌山から大阪まで2時間かけて大学に通い、大学の講義が終わり17時ごろから難波に言って靴磨き。終電の24時ごろまで靴磨きをして帰宅…という毎日を繰り返しました。

次第に目標が明確になっていき「月10万円稼ぐ」事を追いかけがむしゃらに継続しました。

声かけの人数をどうすれば増やせるか。
数えるのがめんどくさいからカウンターを買おう。

雨の日は靴磨きができない。
普段のお客様でホストの人が多かったな。
ホストの店に直接営業をかけに行こう…などなど

本当に文字通り、泥臭くやってました。

そして積み重ねていくうちに時給も1000円、2000円、3000円…と上がっていき目標だった月10万円を達成しました

今まで感じたことがなかった喜びを味わう事ができ、大きな成功体験になりました。しかし…

そこから、ステップアップしていこうと思っていた矢先。

発信していたSNSにしつこいアンチが現れました。
靴磨きをするたびに通報。少し場所を変えてもまた通報…

何分、路上での活動なので違反ではないのですが公共の場所を使っている。とのことで通報があったら警察は注意せざるを得ないとのこと。
(路上ライブと同じような感じです)

普段から罵声を浴びていた僕はここでプツンと糸が切れました。

始めての挫折です。

いつも通り、難波駅に行って靴磨きを始めよう!としても、全く声かけができなくなりました。怖い。嫌だ。そんな気持ちで何もせず帰宅。を繰り返していました。

日に日に、外に出るのが億劫になって、1ヶ月ほど家に引きこもっていました。人と話すことが好きだった僕が、本当に人と話すのが嫌になったんですよね。

こうゆう時は不思議で、何もないところで涙が出たりするんですよ。どうにか諦めたくないけど、体がいうことを聞かない。みたいな感じでした。

そして月日が流れ、徐々に心も軽くなっていき
「いや、諦めてたまるか。」と決意を新たに
次は人と関わらずにできるビジネスをしよう。と方向転換します。

そこで始めたのが「デザイナー」でした。

はじめてのwebビジネス

よし、オンラインならデザインだろう。と気軽に始めるも鬼のようにうまくいきませんでした笑

そこで新たに始めたのが”ビジネスの勉強”でした。

当時読んでいた自己啓発本にもたくさん書かれていた『自己投資』を実践し始めたのがこの時でした。

クレジットカードを複数枚作成して、30万円するFXツール、24万円の起業コンサル、10万円のオンラインスクール…など

累計で100万円は使っていたんじゃないかなと思います笑
全て36分割カード決済。なんとかバイトの費用でもいける!と足を震わせながら自己投資をしていました。

もちろん詐欺みたいなものにも合うわけですが、上手く活路を見出すことができてきます。

YouTubeのサムネイルデザインを中心に展開して
月5万円、10万円、20万円…と最終的には月40万円ぐらいの収入をパソコン一台で稼ぐことができるようになっていました。

もう、有頂天です笑

先人の知恵を借りる。言われたことを素直にやる。
というビジネスでは超絶大切な自己投資からの成功体験を身につける事ができました。

そして月日が流れ、第二の挫折というか、燃え尽き症候群的なものになります。

”全く活力が湧かない。”

きちんとクライアントさんに迷惑をかけないように仕事はこなすのですが、ステップアップしようと技術を磨くこともしなければ、組織化していくこともしませんでした。

単純な作業を淡々とこなしていた。みたいな感じでした。
本当に無気力で、何も楽しくなくなった時期でした。

特に嫌なことがあったわけでもなかったので、どうしたら突破できるのか分からず日々を淡々と、無気力に過ごしました。

そんな時、あるきっかけに出逢います。

人生を変えてくれたコーチング

この当時、参加していたオンラインサロンにて『コーチングセミナー』というものが開かれました。

そこで始めて出会ったコーチング。という領域に少しだけ興味を示すようになりました。そしてそのセミナーをしていた講師の無料LINEに登録だけします。

そこからまた数ヶ月経過して、コーチングのキャンペーンみたいなものがLINEに流れてきます。

「アツいメッセージを送ってくれた人に1回だけ無料でセッションします。」というもの。

これはチャンスだと思い。すぐに連絡。
見事合格して無料セッションをしていただく事になりました。

通常だとzoomで行うのですが、本気で人生変えるのはこのタイミングだ。と思い「実際に会いに行っても良いですか?」と和歌山から東京に行くのを決意。

これが転機となります。

夜行バスに乗り、東京に向かい、何を話すべきかをカフェでまとめ準備してコーチに会いにいきます。

夜行バスを降りた時の写真

始めて入るタワーマンションのラウンジにめちゃくちゃ緊張しながらも、コーチングのセッションを受けました。

2時間ほどセッションを受けてコーチから言われたのが
「ハヤトは人と話すのが好きだから営業とかなんじゃない?」

この言葉に戸惑いを隠せませんでした。
なぜなら靴磨きの大きな挫折から、人と関わるのは極力避けて、営業もできる限り避けてきたからです。

けど、確かに、ヒッチハイクをしたのも、靴磨きで罵倒されながら続けられたのも、デザインの仕事に活力が湧いていないのに続けられたのも『人と喋るのが好き』だったからなのだと気づくことができました。

盲点でした。

人と関わるのが嫌だからデザイン。という仕事を選択していたのに。
人と関わるのが好きだから活力が湧いていなかったんです。

そして話は進み。

「今やっている仕事を辞めて、営業を始めたら良いんじゃない?」

とコーチの人に言われます。決断することが人生を大きく変える唯一の方法なのだと教わりました。

そして震える手を抑えながら、決断しました。

月40万円ほど稼ぐ事ができていたデザインを手放す。と。

すぐにLINEを開き関わってくださっているクライアントさんに辞める旨、そして迷惑がかからないように引き継ぎ先まで用意する旨をすぐに連絡。

そして、自分が知っている中で一番営業が得意でめちゃくちゃ結果を出しまくっている社長に連絡を入れます。

「大将(社長のあだ名)。何でもします。営業を教えてください。」

快く受け入れてくださり、東京に行った足をそのまま京都へと向け走り出しました。

はじめての営業、はじめての社会人

京都に到着し、とあるバーでお話を進めます
「営業を極めたいです。何でもします。」

そいうと快く話してくれました。
「会社を大きくしていくタイミングやから、一緒にやろう。」

そして前職であるwebマーケティング会社、株式会社SOLのメンバーになることが決定しました

そこからというもの、とにかく死に物狂いで仕事をしました。
「量だけは絶対に誰にも負けない。」

まだ当時、学生をしながらだった僕は圧倒的に社会の経験が浅かったのでとにかく手を動かすことだけは意識していました。

今まで営業から逃げ続けていた僕は、もちろん上手くいきませんでした。

セミナーをやっても、面談をやっても上手くいきません。

「全く、上手くいかない。」

当時を振り返ってみると、整髪もしてない。背景が暗い。服装もよく分からないよれた服装、営業の準備も全くしていない。

そりゃ売れないよな。という感じでダメダメでした笑

それでも、誰よりも量をこなす。そして、もらったアドバイスはとにかく素直に実行する。これを徹底しながら、社長にもたくさんサポートしてもらいながら続けていると、徐々に売上を立てられるようになってきました。

入社後3ヶ月で個人月間売上300万円達成。

インバウンドセールス(お客様に来てもらう営業)で今まで立てたこともない売上を立てる事ができました。

そして営業もサポートを受けずに自分だけでもできるようになったり。
自分で新しい商品のセールスフローを組み立てたりできるようになり継続的に売上を上げられるようになりました。

最初社員の数は3名でしたが、徐々に新しい社員も増え始め最終的には13名、外注先も合わせると30名規模の会社になっていました。

任せていただける仕事も増えて
・200名以上が参加するセミナーに登壇
・400名以上が在籍するスクールの運営
・パーソナルジムの立ち上げ、集客
・YouTubeマーケティング事業立ち上げ、運営

紆余曲折がありながらも、この会社に属した2年半という期間で、成果をコンスタントに出せるようになりました。

スクールの交流会

そして、今、新たな挑戦

最後に任せていただいていたのがYouTubeマーケティング事業で、企業様に対してYouTubeのコンサルティング、運用代行をさせていただく事業でした。

インバウンドではなくアウトバウンド(自分達からお客様に行く営業)にて本当にゼロベースからの事業を任せていただきました。

今までやってこなかった領域で試行錯誤しながら、周りのメンバーにサポートしてもらいながらも月間150万円ほど売り上げる事業まで成長しました。

本当にめちゃくちゃ嬉しかったです。

そして、事業を立ち上げていく中で自分の思考や、経験値が蓄えられていくのを肌で感じました。

あのチンチクリンだった凡人大学生がここまで成長できるんだ。と

表情もガラッと変わり垢抜けました

すごく順調に進んでいるその一方で、自分の中でふつふつと湧き上がる感情がありました。

「自分はリスクを何も背負っていない。」

会社に属しているので、仕事を進めていく上で責任はあれども何か大きな失敗をすることはありませんでした。

toBのビジネス、toCのビジネスを両方やって僕たちと関わってくださるお客様は全員リスクを背負って挑戦している人たちでした。

それにすごく違和感を抱えていました。

成果は出ていたし、責任感あるお仕事を任せていただいていたし、働く場所も自由、時間も自由、一緒に働くメンバーもポジティブで最高な人ばかりでした。

それでも、自分を使い果たしきれていない自分にどこかモヤモヤしていました。仕事はめちゃくちゃ楽しいし、やりがいもある。だけど心の奥底でもやもやしている。その状態が続いていました。

”ノーペイン・ノーゲイン”

この言葉が頭をよぎりました。

痛みなくして成果なし。リスクとリターンは比例する。

ここ最近、大きな挑戦もしてなければ、大きな失敗もしていないなと改めて気づきました。すごくワガママな動機ですが、ワンピースで言う”ゾロ”や”サンジ”ではなく”ルフィ”になりたい。

自分で船を持ちたい。船長になりたい。
そして、より多くの人に良い影響を与えられる人になりたい。

靴磨きを始めた時。デザインを捨て、営業を始めた時。あの時のようにまた自分の限界に挑んでみたい。

そう強く思いました。

そこからの行動はすごく早く、すぐに決断し社長に連絡しました。

「会社を退職させていただきます。」

めちゃくちゃ緊張しながら文章を送信しました。

すると、意外なほどすんなり快く受け入れてくれました。

「いいよ!応援する!」と
引き継ぎの人まですぐに用意してくださり退職の意向を伝えてから2日で退職できてしまいました笑

本当にいい会社だなあと思っています。

スパルタンレースに参加

そして晴れて、無職に。

ということで今回の重大発表。

2023年11月、人生初の退職を経て24歳。無職になりました。

仕事ください(笑)
がむしゃらになんでもやります(笑)

という心の声は置いておいて。

今後どんなことをやっていこうと考えているのかというと
・Instagram運用代行
・YouTube運用代行
・SNS広告運用代行

の3つを中心に事業展開していきます

前職で培った力を存分に生かして事業の柱を年内は本気で動きまくります。

何か関われそうだな〜と思った方は僕のInstagramからDM待ってます!一緒に仕事しましょう!

こいつにSNSの運用任せてみたいなー。
webマーケティングに力入れていきたいなー。
という企業様、事業主様。

是非ともご連絡ください。全力投球のご提案させていただきます。

向こう一年はとにかく泥臭く、がむしゃらに進めていきます。
プライドを捨てて、ゼロから積み上げて、素直に愚直に進みます。

今まで触れてこなかった価値観、人、業種業態、過去にお世話になった方々…など人に会いまくる1年にして、とにかく誰よりもたくさん失敗する事を目標に進めてまいります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
良ければ”いいね”していただけると泣いて喜びます。

シェアなんてしていただけたなら、泣いて懐きます。

この記事が参加している募集

#仕事について話そう

109,984件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?