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馬鹿になりたくない



「おばあさん梅干しみたいな顔ですね~」
「あんたはまたふざけたこと言うて!!」

そのおばあさんとはよく冗談を言い合っていた。
認知症を患ってはいたが、大きな混乱もなく、施設で穏やかな日常を過ごしていた。
とても明るい方だった。

ある時、いつもの時間になっても居室から出てこないので、声をかけにいった。すると、おばあさんは部屋の片隅で何かを呟いていた。
その時、どことなくいつもと違う空気を感じとった。そこでおばあさんに後ろからそっと近づいてみることにした。少しずつ近づくにつれ、おばあさんが何かを呟いていることに気づく。おばあさんとの距離と声の大きさが比例する。真後ろに立った時、その言葉が鮮明に僕の耳に届いた。


「馬鹿になりたくない…馬鹿になりたくない…」


そう繰り返していた。
傍目には明るく振る舞っていても、その心は不安でいっぱいだったのかもしれない。
少しずつできることができなくなっていく。忘れていく自分のこと。それは自分を失っていくに等しい。
それらを払拭するかのように、普段おちゃらけていたのかもしれない。

僕は声をかけなかった。いや、声をかけれなかったというほうが正しいのかもしれない。ゆっくりと居室のドアまで戻り、再びドアを閉めた。

傾聴、受容、共感が大切です。
学校で教わり、研修で学び、現場で実践を促された、正しい対応の仕方。
だが、おばあさんのあの声をどう聞けばいいのか。
おばあさんのあの声をどう受け入れればいいのか。
馬鹿になりたくないという気持ちへの共感とは。
認知症という途方もない現実に、見事なまでに打ちのめされた。

そんな僕をよそに、おばあさんは至って普通の態度で食堂へと現れた。

「なんや兄ちゃん突っ立って、しんどいんか?」

忘れていくという現実に揺さぶられながらも、自然と誰かを気遣うことができる。
対応の仕方だなんだと、ぐるぐると悩んでいた僕を一笑に付すかの如く、おばあさんはいつも通りに笑ってくれた。


認知症の新しい治療薬は、日夜開発が進められている。そのことに賛否を問う訳では無い。
ただ、僕らがやることは恐らくなにも変わらないのだと思う。

馬鹿になりたくない、そう嘆くおばあさんとの関係を、日々の介護を通して紡いでいく。馬鹿でもなんでも、おばあさんはおばあさんだということを伝えていきたい。馬鹿になりたくない、そう抗うおばあさんと一緒に生きていきたい。大丈夫だぜ、と声をかけたいんだ。
傾聴、受容、共感。全部丸ごとひっくるめて、おばあさんとの関係を作っていきたいのさ。

僕らの手と目と心こそが、どんな高価な薬よりも価値があると信じているから。

次はきっと、いつもと変わらず、ドアを開けて声をかけるぜ。

「梅干しおばあさん~!」
「こら!馬鹿にしてんのか!ご飯用意せぇ!」

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