ムスリムの僕が考える人生の目的について
こんにちは、皆さん。
冬なので日々寒いでしょうがマレーシアではこの時期梅雨になります。
こうして僕も雨が降りながら記事を書いています。
雨が降ると僕の心は落ち着けますから頭が晴れていい記事が書けそうになると思います。
そんなわけで今回の記事は人生の目的について語りたいと思います。
よほど重い内容ですので気楽にお読みいただけたら大丈夫です。
皆さんはこの世界に生まれた理由は一度考えたことがありますか。
どうして我々が生きているのでしょうか。
何のために生きているのか。
きっと僕の読者の中でもこのような質問を考えたことがあるのでしょう。
例えば、ムスリムとしては既に決まられていました。
神様に祈るために生きているということです。
具体的に言うと毎日神様の祝福をもらうためにどのような行動を取ればいいか、どのような人生の選択を選ぶのか
というのはそのムスリムの人生に影響を与えます。
つまり悪いことをしたら祝福をもらえないというわけです。
キリスト教徒も大体同じだと聞きました。
さて、皆さんはどうですか。
僕の日本人の友達の中で、ある人は他国で暮らし日本語を教えています。
ある人は国際連合児童基金に入って貧乏な国の子供達を助ける仕事をしています。
ある人は老人ホームで年上の人の面倒を見ています。
理由はさまざまでどうであれ人生には目的が必要だと思います。
物事には全て理由と目的があります。
そして短期間と長期間の目的に分別できます。
僕はどうしてこの質問を聞いたというと僕が見た限り大勢の日本人はまるで人生の目的はないと見えました。
僕が見た日本人の人生は永遠のループです。
一般的な凡人の生活の仕方は学校で一生懸命勉強します。
理由は大学に入るためですから。
大学に入れると、いい仕事を見つけやすくなります。
サラリーマンでおっけです。
そしてお金を貯めます。
お金が十分になったら好きな相手と結婚します。
そしてまた一生懸命働いて家庭のために頑張ります。
家の借金と子供の学費を払うために頑張ります。
ずっとお仕事しっぱなしで気づいたら年上になってしまいます。
年金を使って残りの人生を楽しめます。
そして天国へ行きます。
こんな当たり前な人生はもっとも安全ながら退屈だと思います。
果たして、こんな人生は幸せになれると思いますか。
本当に大学に入れなかったらいい仕事を見つけにくくなると思いますか。
本当にサラリーマンで地味な生活でいいのでしょうか。
もしそれでよければどうぞそのままで生き続けてください。
しかし、このループから抜きたい人がいるのなら少し僕の話を語りましょう。
マレーシアでは日本語を専攻することは珍しいことです。
大体の大学生は卒業ができるようにもっとも安全で簡単な課程を取ります。
自分が嫌いな科目でも我慢して卒業したらどうせ関係ない仕事をやりますから
みんなそう考えます。
しかし僕にとってそんな考え方はとてもつまらないと思います。
日本語は珍しいからこそ試す価値があると思いました。また自分の夢を追って成功にさせるのは自分の人生の達成の一つになれると考えました。
さらに日本語を学べば同時に他国の文化が学べますからより良い人生を送れることができると思いました。
こうして僕は日本語を研究している理由も他でもなくまだ夢を追っているわけですから。
マレーシア人に日本語を教えたいからです。
教師とは知識を与える仕事ですからイスラム教の中でもとても高い評価を扱われています。
つまり神様の祝福をもらう道を歩みながら自分の夢が追えるわけです。
まさに一石二鳥ですね。
僕にとって人生はたった一回ですからループのように人生を送れたら生きる意味がないと思います。
ロボットではありませんし、退屈ですから。
皆さんももしやりたいことがあればまたは夢があれば追ったほうがいいと思います。
そうすると死ぬときはせめて後悔なしで死ねますから。
自分の幸せは自分で決めろ!
では。