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ラストレース
陸上部に入り、様々なレースを走った。
俺にとって人生最後のレースとなったのは、マイル(4×400メートルリレー)だった。
今回の記事では、ラストレースを振り返りながら書いていく。
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この記事でも書いた通り、以下の走順でラストレースに臨んだ。
県大会3日目の最終種目(マイルの準決勝である。)
1走:隼人
2走:渉
3走:紘太くん
4走:熊谷くん
基本的に、まず女子の種目が終わった後に男子の種目が行われる。
そのため俺たちのレースは、女子の準決勝が終わった後だった。
残念ながら榴ヶ岡の女子は準決勝で敗退が決まった。男子よりも決勝に残る確率は高かったと思うし、走力のあるメンバーが揃っていただけに悔しい気持ちも大きかったと思う。
「お疲れ」と声をかけようと思ったが、全員びっくりするくらい号泣していて声はかけられなかった。
高3に上がった頃から、ぼんやりと「引退」について考えていたが、もう目の前に迫っていると思うと緊張感が増してきた。
レース直前、各学校の紹介が行われた。
このレースで1走を務めた俺は、榴ヶ岡の名前が紹介されると代表してお辞儀をした。
すると、観客席から
「榴ファイトーー!!」
とみんなの声が聞こえてきた。
地区予選で敗退してしまったメンバーや、怪我で総体に出られなかったメンバー、OB・OGの先輩方...たくさんの人の期待が伝わってきた。
俺らは第8レーンで、第9レーンには館山がいた。「館山の1走を終盤に抜かし、渉にバトンを渡す」ということをイメージし、スタートを切った。
俺らの作戦は、「先行逃げ切り」だ。
俺と渉で1、2位でバトンを繋ぎ、そのままなんとか逃げ切って決勝に残るというものだった。
そのため俺は、1位もしくは2位で渉に繋ぐことがミッションだった。
アウトレーンには館山がいたので、ギリギリまで着いていき最後の直線で抜かしてバトンを渉に渡そうと考えながら走り出した。
レース中の記憶はほとんどないが、もしかしたらこれが「ラストレース」になるかもしれないなという思いは頭のどこかにあったと思う。
ラスト50m付近で、狙い通りアウトレーンの館山を抜かすことができた。
「よしっ!!」
そして渉にバトンを繋いだが、俺の左側には既に3、4人の選手がいた。
そのため俺は4位くらいで渉にバトンを渡すこととなった。
自分たちが想像している以上に、県大会決勝へのハードルは高かった。
渉にバトンを渡した後は、そのままグランドに倒れ込んだ。そのため渉の走りは全く見ていない。
先生達に無理を言って走順を変更してもらったにもかかわらず、結果を残せなくて申し訳なかった。
だが「後悔」みたいなものは1ミリもなかった。
(あー、陸上人生が終わったなぁ...)
そんなことを思っていると、渉の顔が目の前にあった。渉も走り終えたようだ。
ぶっ倒れている俺に何か声をかけてくれるのかなと思っていたが、渉は俺にただ手を差し伸べてくれた。
「お疲れ」とか「ドンマイ」とか、そんな声がけをするのが普通なのかもしれないが、俺たちにそんな言葉は必要なかった。なんとなくお互いが思っていることを理解できていたからだ。
「近すぎず遠すぎない」そんな距離感が俺と渉の関係性だった。
渉がいなければ俺はここまで頑張れなかったと思うし、いいライバルとして隣にいてくれて本当にありがたかった。
渉に引き起こされた俺は最後まで応援しようと思い、3走を走っている紘太くんに目を向けた。
最後のコーナー付近で、疲労からか後ろの数人に抜かれ最下位になっていた。だが、そこから意地で2、3人を抜き返し熊谷くんにバトンを繋いでくれた。
紘太くんは走り終わると倒れ込み、ずっと号泣していた。俺とは違い、中学から陸上をやっていたので単純に俺の倍近く陸上をやっていたことになる。そのため、陸上に対する思いいれも人一倍強かったはずだ。おそらく熊谷くんにバトンを渡した時点の順位を確認して、これが「ラストレース」であることを悟ったのであろう。
熊谷くんは、アンカーらしい安定した走りでゴールしてくれた。
このレースで榴ヶ岡の敗退は決まったが、ラストレースをベストタイムで終えることができた。
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