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陸上の神様がいるとしたら、恨みます

少しエッジの効いたタイトルにしてみたが、これは自分自身のことではなく、ある部員の気持ちを代弁したものである。


総体県大会は最終日(4日目)を迎えた。
俺を含めてほぼ全員の敗退が決まっており、この日にレースがあるのは寺田のみだった。

そのため、この日はみんなで寺田の応援に徹した。

寺田は高校時代の3年間は怪我に悩まされ続けた分、この総体では悔いなく終わってほしいという思いが強かった。

寺田の専門である、110mハードルの予選が始まろうとしていた。

寺田は新人戦で準決勝まで駒を進めていたので、総体でもそこまで行けると誰もが信じて疑わなかった。それどころか中学時代の実績からして、それ以上の成績を残せるとも俺は思った。

応援席の俺たちは全力で声を出した。

「燃えろ〜榴」
「燃えろ〜寺田」

寺田のレースが始まった。スタートは悪くなかった。

だが、中盤付近で寺田は周りの選手に完全に置いてかれていた。

...足を痛めたようだった。

それでも寺田は最後まで走り切りゴールした。

自分のことでもないのにこんなふうに書くのは大変おこがましいが、こう思った。

「怪我で苦しんだ選手の最後が、なんでこんな終わり方なんだよ!最後くらい悔いなく走らせてくれよ...」

タイトルにある通り、陸上の神様がもしいるのだとしたら俺は恨むと思う。

なぜ俺がここまで熱くなってしまうのかというと、寺田がいろんなものを犠牲にしてきたことを知っていたからだ。

(これは寺田本人の言葉ではなく俺の勝手な憶測も入りますがご了承ください。)

寺田は中学時代にハードルで宮城県に名を轟かせた選手であり、高校でも陸上をやるために設備のしっかりしているうちの学校を選んだらしい。

さらに中学時代は陸上部の部長を務めていたことから、高校でも部長として部を引っ張ろうとする気持ちがあったと思う。

だが、高校入学と同時に怪我がつきまとうようになり思うように走ることができなくなっていた。

そんな中、高校から陸上を始めた俺たちが徐々に走力をつけ始めてきたのは寺田を苦しめていた。

こんな状況だったので、先生達も寺田にはハードルに専念してもらおうという配慮があったのだと推測する。

そして、俺には「部長」、寺田には「短距離チーフ」という役割が与えられた。

寺田はきっと悔しかったと思うが、そんな素振りは俺に見せず、自分の役割を全うしてくれた。

また怪我さえなければ、リレーメンバーにも間違いなく入る実力があったが、それも諦めてハードル一本に専念した。

そういった経緯を知っていただけに、俺にとってはまるで自分のことのように悔しい気持ちが込み上げてきた。

応援席にいた俺は、居ても立っても居られなくなり走り終えた寺田のもとに向かった。

俺を見つけると、寺田は涙を流していた。
そして俺の胸でずっと「ごめん...」と言っていた。

俺はただただ聞くことしかできなかった。

この感動的なシーンに水を差すような裏話がある。
(これは多分寺田も初めて聞く話だと思う)

実はこの光景を目撃していた人物がいた。それは聖多だった。

足を痛めた寺田に、マネージャーが気を利かせて氷を準備してくれていた。だが仕事があり場を離れることができなかったため、近くにいた聖多が氷を持っていくように頼まれたそうだ。

そのため聖多は、俺と寺田のこの感動的シーンの後にひょっこり出てきて氷を渡して去って行った(笑)

聖多は、「隼人が来てくれて良かったー。俺だけだったらなんて声かけたらいいか分からなかったよ〜」と後日話していた。(聖多らしくて面白い)

寺田は悔しさや悲しさからか、まだ頭の整理ができなかったらしく「少し一人になりたい」とのことだったので、俺と聖多はその場を去った。

寺田は榴ヶ岡のテントで一人になり、自分の陸上人生を振り返ったりしたかったのだと思うが、この日は強風によりテントが倒れたらしい。近くにいた人が「大丈夫ですか⁉︎」と寄って来る始末だ。

こういうときに格好つかないのが寺田らしくて面白い(笑)

このような経緯もあり、俺たちのブルーシートに戻って来た寺田は、隅に座り黙り込んでいた。

それを見た聡汰が少しでも笑いに変えようと、

「誰か今の寺田の光景を写真に撮ってくれ〜」

と俺の担任のモノマネをしながら使い捨てカメラを渡して来た(笑)

これも聡汰なりの気遣いだったのだと思う。

最後の最後までみんなから愛され、部の中心にいた寺田だった。



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