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売れて売れて

数年前に発売された『ハンズフリー』のスニーカーが大人気である。
靴ベラを使わなくてもスッと履ける、というのが売りだ。デザインはスマートでカッコイイし、種類も増えてきた。男女ともある。
お値段は一万円前後から。最高級の商品だと二万円程度になる。一般的なスニーカーのお値段よりははるかに高いのだが、これが飛ぶように売れるので、レジにいる私達は勿論、売り場担当者も驚いている。
私なんぞも初めは、課長に言われて防犯タグを付けながら、
「こんな高いスニーカー、スーパーで買う人いるんですか?」
と言って、笑い合っていたくらいだったのである。
テレビCMで有名タレントが宣伝しているからではないか、と靴担当のDさんは言うが、売れ出したのはCMが始まるより少し前のことだった。記念すべき我が店の一足目が売れたのは、入荷当日。レジをしたのは勿論、なんでも引きの良い私である。
スニーカーから防犯タグを外す、という経験を初めてさせてもらって、ちょっと緊張した記憶がある。

当初はメーカーもこんなに売れるとは思っていなかったようだ。すぐに品薄になってしまい、長い間発注しても『メーカー在庫なし』という状態だった。
メーカーにすれば『嬉しい悲鳴』、つまり生産が追い付かない状態になってしまったのである。
空になった棚を見てガッカリと肩を落とすお客様の多さに、とても驚いた。『いつ頃入ってくるの?』というお問い合わせにも『未定なんです』とお答えするしかなく、スイマセンと謝ることを何度も繰り返した。
Dさん曰く、人の好みが多様化してしまった昨今、こんなにバカスカ売れるスニーカーなんてあまりなかったらしい。
『満を持して』売り出したには違いないだろうが、高級な品を恐る恐るといった感じで売り出したメーカーも、とても驚いているんだと思う。
今は供給も落ち着いている。相変わらず売れ行きは良いが、在庫が空になることはない。ようやく量産体制が整ったんだろう。

客層の大半がご高齢の方、というのも意外な感じがする。だがお声を聞くと、なるほどと思う。
「しゃがむのが辛い」
「上手く靴ベラを握れない」
「紐靴をいちいち結びたくない」
というのが購入するお客様の主訴である。この要求をなんなく満たした上に、オシャレでカッコイイときたら、少しくらいお金に余裕があれば、お客様の食指も動くかもなあ、と思う。
物によってはデザインがあんまり『スニーカー』っぽくないので、ご案内したお客様から
「これ、スニーカーなの?」
と訊かれることもよくある。
「色んな服装に合わせやすい」
と好評なのもわかる。

レジに長年いると、この商品の購入層はこんな感じの方々、というのが見えてくるものだ。
例えば防水加工で幅広が売りの四千円台のスニーカーは、七十代以上の男性が多い。お支払いは現金かクレジットカードを使われる方が大半。電子マネーの使用はほぼゼロである。
ナイキやプーマなどの高級ブランドスニーカーは、圧倒的に若い年代が多い。現金でのお支払いは皆無に近い。
だが、この『ハンズフリー』の客層だけは読めない。
『え、このおじいちゃんが』と思うような方(失礼過ぎる)が、レジにくちゃくちゃのお札を握りしめてやってきたことも、一度や二度ではない。

「靴ベラを使わずに履ける靴はどこにありますか?」
とお尋ねがあれば、この商品の棚の前にご案内するのだが、例えばそのお客様が歩みの心もとないご老人だったりすると、この時私の胸に小さな違和感が生じることがある。
きっと私の中に
『こんな高い、スタイリッシュなスニーカーを、この人が買うのだろうか』
という、偏見に満ちた疑問が生ずるからなんだろう。
対価さえ払えば誰が購入しても良い筈なのに、そして赤の他人のチョイスなどどうでも良いはずなのに、不思議な感覚である。

少し前から、新しいデザインも入荷し始めた。相変わらず一日に何足も売れている。
「調べたら、ここに売ってるってなってたから」
とわざわざメーカーに問い合わせたり、検索したりしてご来店されるお客様も多い。
他のメーカーも真似をして、『ハンズフリー』の商品を出し始めたが、人気は遠く及ばない。
Dさんのホクホク顔を拝める日は、暫く続きそうだ。