「もっと出して」と言われても

クラリネットの師匠のK先生は、よく"荒れた音を出すな"と仰った。
"荒れた音"とは言葉では表現しにくいが、要するに耳ざわりの悪い、聴いていて心地よくない音、と言う風に感覚的に理解している。
響きが少なく、ただ音量が大きいだけ。声でいうと"がなっている"、歌心がない音、と言ったところか。

吹奏楽に於いてクラリネットは主旋律を担当する事がとても多い。オーケストラで言うとヴァイオリンの役割なのだが、オーケストラと違うのは人数と金管楽器"群"が居ることだ。
一本でも強烈な音量で木管楽器を凌駕する彼らに対抗するには、結構なパワーが必要である。だから悲しいかな、どうしても力んだ演奏になってしまう事が多い。

木管楽器でもサックスのように、楽器の構造上遠くまで簡単に音を届けられる場合は良いが、クラリネットは音量面では圧倒的に不利である。
しかし本当は『遠くによく届く音』『ホールの二階席の一番後ろの席で聴いても聴こえる音』はただデカい音ではない。『よく響く音』である。

吹奏楽の合奏時、指揮者がクラリネットによく投げかける指示に、
「もっと(音量を)出して」
というのがある。これを真面目に実践して、ただ音量のみ気にかけて一生懸命吹いていると、K先生の言う『荒れた音』になる。

残念ながら、この『荒れた音』でも聴こえないより良い、と言う考え方もある。言い換えると"(音が)大きい事は良いことだ"とでも言おうか。ある意味正論ではある。
吹いているかいないか分からないような吹き方では、音程も悪くなるし音色も芯がなく頼りないものになる。しっかり息を入れて吹くことはとても重要だ。

だが"音楽"は音の大きさを競うものではない。
ベートーヴェンの交響曲第9番のフィナーレを聴いて耳を塞ぐ人はいないだろう。感動で胸いっぱいになるか、そこまでならなくても迫力に圧倒されつつ感心する、と言ったところが通常多い反応だと思う。
感覚を言葉で表現するのは難しいが、音の大きさに圧倒されるというより、豊かな響きに引きつけられるような感じなのではないだろうか。
第九だけではなく、通常音楽に於いて言われる『大きな音』と言うのは本当は『大きくて豊かな響きの音』ではないか、と思う。

指揮者によっては、
「もっと(音を)響かせて」
と言う指示をする場合もある。
これだと我々演奏する側も、良い感じに身体が反応する。闇雲に息を吹き込んで、どんな音でもいいから兎に角音量を出そう、と言う吹き方ではなく、出来るだけよく響くツボを狙って、そこに高い圧の息をあてようと全神経を集中させるから、"荒れた音"にはならない。

同じ事は金管楽器にも言えるようで、パーパー派手に鳴らすだけの人は『ブラス吹き』と言ってオーケストラでは指揮者のお叱りを受ける、なんて話も聞いた事がある。ブラス(吹奏楽)だってそんな吹き方はNGなのだが…。
豊かな響きがない音が、ただの騒音とも言える"荒れた音"になってしまうのは、どの楽器でも同じという事だろう。

だから指揮者の「もっと出して」は困る。
私はいつも心の中で「もっと響かせて」と意訳して指示を聞いている。

どんな場合でも美しい音で吹くことは、私の永遠の課題であり目標である。豊かな響きを出そうと努力する方が、力んだ演奏をするより私にはずっと楽しく感じられる。