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無水鍋

私の実家には無水鍋がある。私も実家で見ていなければその鍋の正式な名前を知らなかったと思う。アルミの鋳物で、底が厚いのに比較的軽い。上下を返せば普通の煮込み鍋としても使えるようになっていた。母が結婚する時に親族からもらったらしいから、かれこれ六十年近く使っていることになる。
蓋の持ち手のプラスチックはさすがに劣化して何度か付け替えていたが、本体は傷んだこともなく、今も現役である。

無水鍋が活躍するのは勿論冬だ。
蓋を底の方にして二センチくらいの湯をはり、流しいれた卵液が固まるのをじっと待つ。串を刺してみて濁った液が表面に上がってこなくなれば出来上がりだ。鬆も立たず表面に出汁がうっすら浮いて、プルンと良い具合に茶わん蒸しが出来る。ゆり根やかまぼこが入った優しい味の茶わん蒸しは子供の頃から大好物だった。
型に流しいれたホットケーキミックスにレーズンやサツマイモの角切りを入れて蒸すと、蒸しパンになる。母は私達が学校から帰るころを見計らって、よくこの蒸しパンを作っておいてくれた。まだ湯気の立つようなアツアツの蒸しパンをフウフウいいながら手で適当に割いて食べるのは最高に美味しかった。
同じように楽しみにしていたのがふかし芋である。アルミ箔に包んでこの鍋で蒸し焼き?にすると、柔らかく甘くなる。最近スーパーなどでよく売られている焼き芋はそのままスイートポテトといってもいいくらいだと思うが、ふかし芋はそこまで甘くない。芋の種類も違うのだろう。でも冬の寒い日に、火傷しないように注意深く皮を剝きながらハフハフ言って食べるのは美味しくて、腹の底から温まる感じがした。
父が友人の漁師から「ゾウリエビ」という非常に美味しいエビを貰ってきたときも、この無水鍋で蒸した。しばらくは元気に中で抵抗してガサガサ動いていたので、母は「ごめんよー」と言いながら蓋を押さえていた。やがてシーンと静かになり、蓋を取るとゾウリエビが赤く蒸しあがっていた。貰ってきたときは何とも言えない気持ち悪い色と外見だったのに、湯気が立つ様子はとても食欲をそそった。
薄っぺらい身体には意外なことに、随分沢山の身が詰まっていた。あまりの美味しさに、食べながら家族全員が無言になってしまったのも懐かしい。
年末になると無水鍋はひっくり返されて煮込み用の深鍋になり、お節料理用の黒豆を煮る鍋になった。正月がいよいよ近づくと、真っ黒な甘い香りの汁の中でつやつやと煮える黒豆をよく見ていたものだった。子供心に『この鍋、普段は蒸し器やのになあ』と思っていた。調べようとまでは思わなかったが、その構造がちょっと興味深くもあった。

私が嫁ぐとき、母が無水鍋を持たせてやろうか、と言った。一つあれば煮込み鍋にも蒸し器にもなって便利だし、熱が伝わりやすくて経済的でいいよ、と言うのだった。
でも私は断った。当時は「自分の新しい生活を始めること」に夢中になっており、使い勝手とか経済性とかは二の次だった。こんなお鍋揃えてみたい、あんな道具も欲しい、とろくに料理も出来ない癖に新生活を想像してワクワクしていた。私の空想の台所には昭和の遺物のような無水鍋は居場所がなかったのである。
私が要らない、とういうと母は残念そうにそうか、と言った。それ以上勧めてくることはなかったが、少し寂しそうだった。

たいして料理を作ることは好きではないのに、冬になると色々温かい料理を作りたくなる。作りたいというより、自分が食べたいからじゃあ作るかな、となるのだ。
今頃になって、無水鍋を持参すればよかったかなあ、と思うことがある。結局母は無水鍋の代わりに圧力鍋を持たせてくれた。これを使うと、サバの味噌煮やイワシの酢煮といった魚料理は骨まで柔らかくなるので、骨嫌いの夫も喜んで食べてくれる。カレーやシチューの下煮込みにもとても重宝している。蒸し料理も出来るのだが、これはあまりやったことがなく、蒸し器に任せている。専用の台座を使用するので、ちょっと手間が面倒に感じてしまうのだ。
無水鍋を買おうと思えば買えるけれど、母の提案を素直に受け入れておけば良かったかもなあ、と今でも少し後悔している。あんなに真っ向から否定せず、ちゃんと自分の生活をより楽しくするために必要かどうかで選ぶことが出来ていたなら、きっと無水鍋は私の嫁入り道具のチョイスに入っていたに違いない。遅すぎる反抗期みたいなものだったんだろう、バカだったなあと苦笑している。

ビーフシチューを作りながら、こんな風に子供の頃冬に食べたあれこれを思い出している。
やっぱり私は作るより食べる方が好きな人間のようだ。