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一パーセント未満の人

若い頃勤めた職場には、明らかに『この仕事には向いていない』と思える人が数人いた。所謂『山っ気』が多すぎる人なんかは、生真面目さを必要とされるあの職種には向いていなかった。逆に『”つ”と言えば”か”と答える』といった呼吸が分からない、反応の悪い人も、毛色こそ違えど向いていなかった。
それらの人達の内、勇気ある一部の人は自分で自分の道を切り開こうとすっぱり退職していったし、様々な理由で現状維持を目指さざるを得ない人は、のらりくらりと、或いは積極的に一歩引いて、なんとか大きなミスをせずにやり過ごし、無事にその日の禄を食むことにのみ注力していた。
学生バイトの時も、パートとして働くようになってからも、この『向いていないと思われる人々』は不思議なことに一定数、必ず存在した。
割合としては全従業員の一パーセント未満といったところだと思う。

これらの人々は何故か上手い具合に淘汰(言い方は悪いが)されない。出る杭は打たれるが、出ない杭は打たれないから、積極的に上に出ようとさえしなければ、それなりにやっていけるものとみえる。
職場にピンチが訪れても、自分ではない誰かが使命感から勝手に凌いでくれる。自分はそれを傍観しながら、『凄いねえ』とでも言っておけばいい。
そういった傍目には小狡いと映るであろう時間を過ごす様子も、長い年月を重ねるうちに周囲の人々の関心の外になってしまう。やがて自分のキャリアか、はたまた人生そのものか、どちらかが終焉を迎えるまで、上手に弾を躱しながら生きて行けば、生きながらえることはできる。ドッジボールの逃げ専部隊のようなものだ。
食べていく為に必ずしも必要ではない、『プライド』というものに目を瞑ることさえ出来れば良い。

子供服売り場のOさんは、失礼を承知で言えば、この『一パーセント未満』の内の一人であると思う。
この人、子供服売り場の唯一の社員なのだが、悲しいことに全く当てにできない。
レジ操作は不得手である。簡単な返品作業でも、いつもインカムで必ず誰彼を必死で呼んでいる。
売れないものを余分に発注し、売れるものを欠品させる。値段の入力を間違える。
売り場のご案内が出来ない。商品知識もいい加減で、時折お客様からお叱りを受ける。
断っておくが彼は定年間近のベテラン社員、である。

現在、私達の売り場のランドセルはこのOさんのお膝元の三階に置いてある。服を見に来たついでに、興味を持っていただくのが目的である。
しかし自分の担当の商品ですらこの調子のOさんが、手続きの超面倒くさいランドセルのご案内がまともに出来るかどうかは、火を見るより明らかである。
かくして、ランドセルについてのお問い合わせがあると、彼はインカムを使って、必死で一階の私達を呼ぶ。
「服飾さん、ランドセルの接客お願いしまあす!!」

イチイチ一階から三階に赴くのは時間がかかる。お客様をお待たせしない為、ランドセル担当のYさんは三階に予め、パンフレットと接客マニュアル、鍵(高額商品の為、常に施錠してある)を置いている。三階の他のメンバーは皆、これを使用してやってくれている。
しかし、Oさんにとってはなんの意味もなさない。
パンフレットが欲しい、と言われれば『どこにありますか』と大変焦った様子でこちらに尋ねてくる。接客の仕方が分からない、と言って一階までわざわざ降りてきて、こちらの手があくまでじっと待っている。鍵はどこだ、と大騒ぎして、他の売り場の社員に『ここにいつもあるじゃないですか!』と窘められている。
全てに於いて、どうしてそこまでわかっていないのか、不思議なくらいである。双葉マークを付けているアルバイト学生より酷いとすら思うことがある。
でも彼はベテラン社員、である。

Oさんはどうしてこの仕事に就こうと思ったのだろう。この仕事の何が好きなのだろうか。
いつも不思議でしょうがない。
気の毒なくらい、何も分かっていない。そしてただただ焦っている。でもその焦りには、隠し切れない『確信犯的なもの』が見え隠れする。だから皆、『Oさんはズルい』『やる気がない』と言って彼を批判する。
自分のそういった小狡い側面を隠す術を、彼は持っていない。
ある意味、正直な人だと言えるのかも知れないし、開き直っているのかも知れない。

どの職場にも、一定数必ずいる、一パーセント未満の人達。Oさんは紛れもなくその一人なんだろうと思う。
こういう人に苛立ってもしょうがない。
彼を受け容れているこの職場に、自分も居るわけである。困った事も多々あるけれど、これもご縁なんだろう。
そんな風に考えながら、今日も私は彼の焦った調子のインカムが聞こえてくると、ちょっと嘆息して天井を見上げるのである。











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