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ハンコの記憶

私が中学生の時の話だから、今から四十年近く前の事である。
私は怖がりでどんくさく、体育は小学生の時から苦手だった。中学校にあがってからもそれは変わらず、体育の先生ほぼ全員が嫌いだった。
ある時、体育の授業に教育実習生がやってきた。どのくらいの期間いたのか、今となっては忘れてしまったが、実習生は二人の女性で、二人とも東京の有名な体育大学の学生だったことだけは印象に残っている。
大嫌いな体育を学ぶ為に大学に行く人がいる、ということが私には新鮮で眩しかったからかも知れない。

当時は体育の授業時、生徒一人ずつに「習得カード」が渡されていた。今回は何段で台上前転ができた、懸垂が何回出来た…と言った具合に授業の度に記入して教師に見せてハンコを押してもらう。「もっと頑張れ」などとコメントを書かれることもあった。友人達の誰より習得度合いが低い私にとっては、かなり見るのが嫌なカードであった。
実習期間中はこのカードへの記入は実習生の仕事になったようで、いつもの教師よりも熱い、優しいメッセージが常にハンコ付きで添えられるようになった。結果は面白くなかったが、手紙の類を読むことは好きだったので、少し嬉しい気分になって読んでいた。

そのうち、私は一人の実習生のハンコに自分が妙に懐かしい感じを覚えるのに気付いた。どうしてなのか、長い間ずっとわからなかったのだが、実習期間があと一日で終わるという前の日になって、突然思い出した。
小学生の頃、夏休みには近所の公園で毎朝ラジオ体操があった。体操が終わると、カードにハンコを押してもらう。ハンコを押すのは六年生の役割だった。当時押してもらったハンコの中に、その実習生と同じ苗字のハンコがあったのだ。
珍しいというほどではないが、そんなに数の多い苗字でもない。私の近所には一軒しかなかったと思う。確かそこはお姉さんがいたはずだ。年齢的にも合う。もしかして、あの実習生はあの時のお姉さんなのじゃないだろうか。
確信を持てないまま、実習最後の日を迎えてしまった。

最後の授業は二人がかわるがわる前に出て、お礼の挨拶をした。
「実習生にメッセージがあったら書いて下さい」
先生からちいさなメモが渡された。おませな子達は、都会で女子大生をしている実習生たちと姉妹のように親しく喋っていたから、きゃあきゃあ言いながら楽しそうにメッセージを書いていた。
それを横目に見ながら、私はこんな文章を書いた。
『H先生、ありがとうございました。体育は苦手だけど、カードのメッセージは嬉しかったです。
あともし間違いだったらすいません。私は○○団地に住んでいます。昔、ラジオ体操の時に先生にハンコを押してもらったような気がします。』
メモはざーっと集められた。

その日の夕方、二階の自分の部屋で宿題をしていると、
「ミツル!H先生来てくれはったよ!」
と母が下から呼んだ。びっくりして降りて行くと、H先生が母と談笑していた。
「あ、ミツルちゃん、メモありがとう」
先生は階段を降りてくる私を見ると、笑顔で手を振った。
「わあ、わざわざありがとうございます」
「いいえ、嬉しかったです!そう、私、ラジオ体操のハンコ押してたよ!絶対私よ私!」
「やっぱりそうだったんですね!」
H先生と母と私の三人で笑った。
「出身中学校に行くことになってるんで、同じ団地の子はきっといるとは思ってたんですけど、まさかラジオ体操で出会ってたとはねえ!」
H先生はそういうとまた笑った。
先生はソフトボールが好きで、高校でもソフトボールに没頭し、大学は迷わず体育大学に行くことにしたそうだ。
「ウチの子、どんくさいでしょう!」
母が言うとH先生は
「得手不得手は誰だってあります。私も苦手な競技はありますよ。無理になんでも出来るようになろうとしなくても良いと思います。ミツルちゃんはさぼってるわけじゃないです。一生懸命頑張ってますよ」
と言って私の方を向いて
「なっ!」
とニコニコしてくれた。
もっと早くから沢山喋りたかったなあ、と思った。

随分経った頃、風の噂でH先生は結婚された、と聞いた。どこの誰に嫁がれたのかは知らない。ご実家もとっくに引っ越しされて、同じ団地にはない。
ラジオ体操のハンコの記憶が繋いでくれたほんの少しのご縁だったけれど、体育に関する珍しく爽やかな思い出として、私の記憶に残っている。