Tちゃんへ
Tちゃん
年賀状ありがとう。
もう随分遠くに引っ越して来てしまったし、いつまでも賀状出させるのも悪いと思って今年は出さなかったんです。ごめんね。
最後に会ったのは、あなたのいる楽団とウチの楽団の本番がほぼ同じ時刻になった、R町の文化祭でしたよね?あの時は二人の小さいお嬢さんの手を引いて、すっかりお母さんしてる貴女を見て、とてもほのぼのした嬉しい気持ちにさせてもらいました。お嬢さん方もすっかり大きくなられて。特にお姉ちゃんはとても背が高いですね。貴女に似たのかな、と思って写真拝見しています。
私達は不思議な縁でしたよね。
私が入団した当時、貴女は「我儘な子」というレッテルを貼られて、周囲からちょっと浮いていました。確かに気が強く、気に入らないことがあるとプンと拗ねるようなところもありましたが、私から見ればずっと年下だし私も若い頃はあんな風だったかもなあ、と思いながら貴女を見ていました。
今の貴女があの頃の貴女を見たら、「恥ずかしい~」って顔を赤くするかもね。
貴女は我の強いある団員の陰で、殆ど全くと言って良いほど主旋律を担当させてもらえなかったんでしたね。人一倍練習していたし、良い音していたのに悔しかったでしょう。でも逆らわず、じっと我慢して伴奏に徹していた。相手が年長者だから我慢していたんでしょうか。誰にも愚痴も言わなかった。でも面白くなかったでしょうね。
ある時、お情けで久しぶりに担当させてもらったSoloを、貴女は上手く吹けなかった。例の団員はそれ見たことかと意地悪く、得意そうな顔をしました。みんなはその団員を憎く思う一方で、「やっぱりこの子には任せられないのか」というため息を心の中で漏らしました。
貴女は人一倍敏感で、繊細で、でも気が強かったから何も発言出来なかった。悔しかったのでしょう、合奏終了後隣の部屋で一人楽器を片付けながら、黙って大粒の涙をこぼしていましたね。たまたま楽器ケースを取りにあの部屋に入った私は、いつも大人しく二番奏者として控えている貴女が、白い手の甲でぐいっと涙をぬぐって私の方に向き直り、首を傾げて「エヘヘ」と笑った時何も言う事が出来ませんでした。と同時に、この子がこんな思いをするまで老害を放置した責任は自分達運営役員にあるんじゃないか、と思い申し訳ない気持ちにもなりました。
私が運営に積極的に物申すようになったのは、貴女の涙を見たことがきっかけになったと今でも思っています。
この出来事が起こったのは、クリスマスまであと少しという年末最後の練習日のことでした。何か私に出来ることはないかな、そう思ってオルゴールのついたクリスマスカードを貴女に送りました。
「良いクリスマスと新年をお迎え下さい」
若い貴女に向けて書く言葉が見つからず、そんな当たり障りのないメッセージのみを記しました。しばらく経って、貴女は
「カードありがとうございました!」
という元気なメールをくれましたね。
そして新年初の練習の時、
「これ、ケースにでもつけて下さい。お正月休みにボチボチ作りました」
と言って可愛い花モチーフのストラップをくれました。今も私のバスクラリネットケースに付けています。「可愛いね!どこで買ったの?」とちょくちょく聞かれますが、貴女のお手製だというといつも歓声があがります。
貴女の今所属している楽団は活動停止したままだとか。元々医療従事者や小さい子のママが多い楽団でもあったから、再開はなかなか難しいのかも知れません。
でもこんなことは多分いつまでも続かないでしょう。きっとあなたのことだから、忙しくても毎日時間を作ってちゃんと練習しているんだろうと思います。だから、いつ活動再開しても大丈夫だと思います。
その日に備えて準備は怠りなくね。
そうそう、Oさんを覚えてますか?兼団しているもう一つの方の楽団に貴女に是非来て欲しいなあ、って仰ってました。フルートの人数が少なくて、困っているとか。練習会場がお家から近いそうですね。機会あれば覗いてみて下さい。きっと大歓迎ですよ。
その気になれば吹く機会は他にもこの先きっとあります。気長に、でも諦めないでね。
ママさんとお勤め人と奥様との三つの草鞋、それだけでも大変でしょうけど、思い切ってもう一つプレーヤーとしての草鞋も履いてみて下さい。
但し健康には気を付けて。どこにいたって、貴女を応援しています!
またグリーティングカードでも送りますね。
いつもありがとう。