縁は異なもの

30歳と言えば今どきは多くの女性が独身で、仕事や趣味に勤しんでいる方が多いと思うが、私の頃の30歳独身女性と言えば完全な『(嫁に)行き遅れ』で、本人は兎も角、親は人目を気にして「早くどこかに片付いてくれないか」と真剣に願う年齢であった。
ウチの親も例外ではなく、あちこちにツテを探して今でいう「代理婚活」、当時でいう「お見合い話」をあれこれと持ってきた。

お見合いというのは惨いシステムである。
両家顔合わせの後、さあ行ってらっしゃい、といきなり二人きりにされる。知っている相手の情報は「釣書」という失礼極まりない名前の自己紹介が書かれた紙一枚分の情報と、写真一枚きりなのだ。初対面の相手とこれだけのネタを頼りに、話題をつながねばならない。相手の仕事や趣味が自分と合えばまだいいが、全く関係ない人だとマジで話を続けづらい。黙り込んでコーヒーをすするだけになる。

初めてのお見合い相手は父の部下であった。断り切れなかったんだろう。可哀想である。4つ年上だった。
この人とは全く話をしなかった。ただコーヒーカップを持ち上げるときの細かい仕草や、助手席に座った時の雰囲気で「この人、彼女いる」と感じた。
根拠は不明だが、「女のカン」って奴である。
「あの人、多分付き合ってる人いるよ。上司からの誘い、断り切れへんかったんと違う?相手は年上やと思う」
そういったら父は
「ほんまかいな。アイツ、おとなしい奴やで。年上の彼女なんかおるかよう」
と笑っていた。
勿論この話は丁重にお断りした。別に悪い人ではなかったが、向こうからは断りづらいだろうと思ったからだ。
この人の父親は父の友人でもあったのだが、何年かのちに父に会った際、
「おい、娘さんのカン当たってたわ。それもエライ当たりようや」
と嘆くので父が詳細を聞くと、随分年上の、子持ちの水商売の女性を結婚したい、と突然家に連れてきて大騒ぎになったそうである。
「お前、なんでわかったんや?」
と父に聞かれたが、自分でもいまだにわからない。なんとなくとしか言いようがない。不思議なものである。

夫との出会いもお見合いである。
私の叔母と姑が幼稚園のPTA役員を一緒に務めたことがきっかけだった。姑が叔母に律儀に送ってくる年賀状に、
「うちにはまだ息子が独身でおります。心配です」
と毎年書いてくるので、叔母は誰か良い人いたら紹介してあげなくては、と思っていたらしい。
そのうち、ウチの母が
「ミツルが嫁に行かへん。収入かなり多くなってきたし、このまま独身で行く、とか言い出しかねない。心配している」
と言うのを聞いて、あ、お誂え向きの相手がおるやん、と思ったそうだ。
かくして、夫と私のお見合いが決まった。

夫のお見合い写真は控えめに言っても酷かった。
槍ヶ岳に登頂した時の物であることは後から知ったのだが、逆光だし髭が伸びまくっているし、年齢より10歳くらい老けて見えた。夫によると、登山中は風呂にも入らず髭も剃らなかったので、そういう状態であったそうだ。そんな最も見栄えのしない状態の写真をチョイスするあたり、姑らしい。
だから、写真を見てときめくなんてことは一切なかった。30歳過ぎたらこんなおっさんの話しか来ないのか、とちょっとダークな気分になったくらいである。
因みに夫は私が超ロングヘアだった頃の写真をつかまされていた。この年代の男は何故かロングが好きである。ちょっと楽しみだったそうだ。
ところが私はその写真を撮った直後、髪を肩までばっさり切っていた。
夫はお見合い当日「だまされた!」と思った、と言っていた。
母が故意だったのかどうかは、不明である。

夫の釣書には
「趣味 トロンボーン演奏」
と書いてあったのでそれだけが私の関心を引いた。しかし、趣味の欄は他にもいっぱい書かれており、どんだけ多趣味やねん、と思っていた。
この多趣味に悩まされることになろうとは、この時は知る由もなかった。

お見合い当日、叔母の家を放り出された後はドライブだったが、夫は行き先をさっさと決めて私に告げ、
「いいですか?」
と言った。もとより希望などなく、簡単に同意した。
たいして話が弾むこともなく、お互い殆ど黙っていた。でもなんとなく居心地が悪くなかったのはどうしてなんだろうと、いまでも疑問に思うことがある。

夫の雰囲気は摩訶不思議だった。
近づこうともしないし、かといって嫌がっている様子もない。父の部下のような困惑も感じない。食事しても普通に話が弾む。でも深入りしない。バレーボールのコートでネットを挟んで喋っているみたいである。距離が遠くもなく近くもない。敵でもなく、味方でもない。つまりよーわからん。
付き合っている間ずっと、夫はこんな感じだった。それまで付き合った男の人と違って、男の強烈な独占欲みたいなものを、まるで感じない人だった。年がいってるから落ち着いているのかな、と思っていた。
私がモテ女だったら違ったのだろうか。

そのよーわからん相手と25年も連れ添うことになるのだから、縁とは不思議なものだ。まあ夫もこの辺で手を打っとこう、と思ったのか、残り物には福がある、とでも思ったのか。
姑は口は達者だが身体は随分弱った。叔母は身体は元気だが、今は多分私が誰だかもわからないだろう。
悲しい事だが、私達を結び付けた人たちはどんどん老いていっている。

人との出会いなんて本当にわからない。運命なんてもう用意されている気がする。それを認めて楽しんで生きるか、認めず苦しんで生きるか、の違いだろう。チョイスするのは自分なのだ。
今はただ、全ての人とのご縁に感謝している。