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オーバーツーリズム報道に思う

少し前になるが、ニュースでオーバーツーリズムについての特集を組んでいた。京都市内にある義実家等に頻繁に出かける用事のある人間として、興味深く観させてもらった。
しかし、残念ながら内容には感心出来なかった。
実態を正確に報じているとは、とても思えなかったからである。

一つの例として、京都の市営バスの中の様子が写し出されていた。そこには大きなキャリーケースで我が物顔に通路を占拠する、大勢の外国人観光客が写っていた。立錐の余地もない感じだった。
私はこの映像を観て、強烈な違和感を覚えた。

目的地が停留所から目と鼻の先の為、かの地での私の主な移動手段は市バスだ。いつも何本かを乗り継いで利用している。
少なくともここ二年ほどの間、私が京都に帰省した機会に乗った市バスで、このような情景に遭遇したことはない。年に十回くらいは足を運んでおり、その度に必ず利用しているから、乗る回数は少ないことはないと思う。
途中には金閣寺や大徳寺、北野天満宮、平安神宮、南禅寺といった京都の超有名観光名所がいくつもある。確かに、最近の乗降客数は異常に多いとは思う。乗るのも降りるのも一苦労である。
だが私の見ている限り、外国人観光客の殆どが非常に手荷物が少ない状態で乗車してくる。キャリーケースを持っている人もいないことはないが、かなりの少数派だ。
あの報道の映像は、かなり前のものなのではないか。

ついでに言うと、最近は殆どの外国人観光客が、運賃の支払いに交通系のカードを利用している。
以前はじゃらじゃらと小銭を入れる人が多く、入れたお金が足りなくて運転手に引き留められたり、お金の計算がよくわからなくて降りる時に運転手に尋ねたりといったケースをよく見かけた。
だから乗降客の多い停留所だと、発車するまでに途方もない時間がかかっていた。多分、時刻表通りにはとても運行出来ていなかったに違いない。
片言の日本語を話す外国人に、身振り手振りで一生懸命事態を説明する運転手がとても気の毒に思えたものだった。
現在も客数は多いから乗降に時間はかかるが、以前の小銭じゃらじゃらに比べれば隔世の感がある。
キャリーケースのことも含め、きっと観光協会やバス会社の、地道な啓発活動があるのだろうと想像できる。

乗っている観光客のマナーもとても良い。
高齢者が乗ってくると、積極的に席を譲ろうとする人が殆どだ。
一度など、バスに乗ろうとしてよろめいた高齢者を、たまたま近くにいた外国人観光客の青年がさっと支えたのも見たことがある。何度も『ありがとうございます』と頭を下げられてはにかむ姿は、日本人と何も変わらないように見えた。
降りる時、運転手に『ありがとう』と拙い日本語で言って、頭を下げる人もよくいる。
その姿は、『日本のおもてなし文化に、ほんの少し染まるのを楽しんでいる』という風に見える。動物園のサルを見るように観光を楽しんでいるようには思えない。

私が見た車内の映像のような事態も、少し前にはあったことなのだろう。
バスの車内にも、様々な国の言語で書かれた『キャリーケースは持ち込まないで預けましょう』という注意書きが貼ってあったくらいだから、大変な時期があったことは間違いないと思う。
でも、『現在は』そうではない。

何も知らない人は、あの映像を見て
『外国人はこれだから』
と眉を顰め、
『日本は買いまくられる国になってしまった。昔と立場が逆転してしまった』
などと昔と比較して嘆くのかも知れない。
しかしそれは観ている人にそういう風に思わせたい、メディアの情報操作の術中に落ちているということなのだと思う。

全ての情報を自分の目で直接見聞きするのは難しい。
しかし与えられた情報を鵜呑みにするのだけは、やめた方が良いと思う。
センセーショナルな映像は、単純な怒りや気分の高揚といった、分かりやすい反応を呼び込みやすい。だから情報を提供することに誇りも矜持もない者達は、ただ民衆の耳目を集める為だけに、虚構ギリギリの情報を垂れ流す。世の中、そんなエセ情報が溢れている。
しっかり目を見開いて、常に自分の反応を冷静に見つめながら、『本当に正しい情報なのか』を『自分で』見極めていかねばならないと思っている。













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