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年齢不詳のNさん

子供の頃読んだ故・亀井一成さんのお話にこんな行があったのをうっすら覚えている。
『亀井さんは、チンパンジーの年齢なら一目見て当ててしまうのに、人間の年齢はさっぱりわかりません。四十歳の人に六十歳ですか、と聞いて怒られたり、六十歳の人に四十歳ですかと聞いて喜ばれたりしています』
亀井さんは神戸市の動物園で永らく勤められた方で、剽軽で気さくな人柄で広く人気があった。特にチンパンジーのチェリーちゃんの人工哺育で有名だった。十年以上前に亡くなられているが、昔ラジオ番組でお声を聴いたことがあった気がする。

チンパンジーではないが、私自身も幼児の年齢なら月齢までほぼ正確に当てることが出来る。多分子育て経験のある方なら同じだろう。
わからないのは、四十から七十代くらいの男性の年齢である。外見の個人差が大きすぎるように思う。
職場の上司であるNさんも、私が年齢の判別がつきかねている内の一人である。

Nさんは二階の衣料品部門の責任者兼紳士服のバイヤーである。昨年ベテラン社員が退職するのに合わせて、他店から転入してきた。
大柄なウチの課長と正反対の身体つきで、目尻がいつもひゅんと下がっている、柔和な顔つきの方である。Nさんと顔を合わせて警戒心を抱く人は皆無だと思う。
私のいる靴・服飾雑貨売り場は衣料品部門の一部だが、売り場は一階にある。他の衣料品は二階にあるので、従業員同士が顔を合わせることは稀だ。だが、Nさんはいつも出勤すると必ず
「おはようございます」
と覗きに来てくれる。課長が居てもいなくても、
「二階にいますんで、応援必要な時はいつでも声かけて下さいね」
とさりげない一言を下さる。
私が初めてのランドセルの引き渡しの際に、何をしていいか全くわからず右往左往してインカムで叫びまくっていた時、最初に駆けつけてくれたのが着任二日目だったNさんである。なので私の中では極めて「良い人」という位置づけだ。
「優しい」「物言いが丁寧」「いつも困っていると助けてくれる」と他のパートや社員にも評判が良い。

先日も大変小さな箱を「どうしても包装紙で包んで下さい」というお客様が来られて難渋し、インカムでラッピングの応援要請をしたら来てくれたのがNさんだった。
練習の甲斐あって、私も普通の大きさの箱ならなんとか包めるようになったのだが、こういう特殊な形や大きさのものはまだ出来ない。食い入るようにNさんの手つきを観察するが 、早すぎてどうしているのかよくわからない。
そうこうするうちに、箱は綺麗にラッピングされてしまった。

お客様にお渡しした後、
「どうやっているんですか。あんな小さい箱!」
私が感心して言うと、Nさんは
「慣れ、慣れ。場数踏めば誰だって出来るよ」
と笑って、
「靴・服飾はレジ対応が大変だよね。左右のサイズ確認とか、傘の動作確認とか、キャリーケースの鍵確認とか、特有の付随作業が多いからね。ラッピングの要員がいつも待機している訳じゃない(※二階には常時居る)から、自分たちでやらなきゃいけないことも多いでしょう?偉いよねえ、ここの人みんな」
と持ち上げてくれる。
「いやあ、今回みたいなことがあったら全くお手上げですよ。ランドセルの時も随分助けて頂きましたし、一人ではとてもとても。ありがとうございました」
と言ったら、
「お互い様ですよ。じゃあまた、よろしく」
とニコニコして二階に戻っていった。

接客業をして随分になるけれど、こういう「身内」に対して丁寧な人は残念ながら少ない。こちらが応援要請した時に『自分が出来ることはサポートさせてもらう』というさりげない協力を当たり前のようにすぐ差し出す、Nさんのような人は珍しい。
みんな自分の仕事で忙しい。それがわかっているので応援要請をする時は申し訳ない気持ちになる。自分の経験不足でそうしなければならない時は尚更である。
でもサポートしてもらうと、『今度からは自分で出来るようになろう』という向上心が芽生える。知識の少ない人間を現場に放し飼いにして教育する方法も良いと思うが、そればかりだとメンタルが疲弊してしまう時がある。
『困った時は必ず誰かが助けてくれる』と思っていられるのは甘いと言われてしまうかも知れないが、心強いものだ。

こんな風にいつも優しく頼りになるNさんだけど、一体何歳なのか、ちょっと気になっている。聞くのは失礼だしなあ。詮索好きのおばさん根性にも困ったものだ。
これっ、そんなことより仕事覚えなさい!