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べらんめえ調のAさん

「おい、暇だよ。どうしてくれんだい」
数日前のある雨の日、私がレジの機械を掃除していると、笑いながら声をかけてくる従業員がいた。
自転車コーナー担当のAさんである。
「こんな冷たい雨の日、自転車に乗る人は少数派でしょう。買いにくる方はもっと少ないでしょうしねえ。こういう日はお掃除日和だと割り切ることにしましょうよ」
そう答えるとAさんは苦笑いして、
「ったくよお、忙しい日は身体が三つくらい欲しいのによお。差が激しすぎるぜ、おい」
と言ってガハハと笑いながら、大股で去っていく。

ウチのスーパーは全国展開しているが、自転車の取り扱いをしている店舗は多くない。保険の手続きだったり、修理だったりが何かと手間がかかって面倒(つまりそれに見合う収益があげられない)なのと、余程大きな店舗でないと保管場所に困る為である。
Aさんは関東の大きな店の店長を歴任した後、定年後再雇用の職員として、この店の自転車コーナーで働いている。副店長経験者は掃いて捨てるほどいるが、店長経験者はそう多くない。つまりAさんは数少ないキャリアの持ち主ということになる。

しかし普段の様子からは、そんな偉い人だったなんて、ちっとも感じられない。
喋り方は冒頭のように、いつもちょっと荒っぽい、べらんめえ調だ。店長のことも「おい、○○」と呼び捨てである。店長の方もAさんには頭が上がらない。平身低頭で、揉み手をするようにしながら話をしている。ちょっと見、どちらが店長かわからない。でも嫌な感じはしない。
普通なら、職員が店長を呼び捨てにするなんてあり得ない。常識を疑うが、Aさんだと何故か許されてしまう。威圧的なわけでもないし、常識を理解できないわけでもない。
独特の不思議な雰囲気を持った人である。

Aさんはちょっと、いやかなりの慌て者だ。
レジの下に付いている引き出しは、商品券や損金(破れていて機械内に収納できない札やレジに入らない記念硬貨など)を入れるため、必ず施錠しておくことになっている。開ける時は鍵を使うが、閉める時鍵は不要だ。ぐっと力を入れて押し込めば、勝手に鍵がかかる仕組みである。
Aさん、何故かこの引き出しによく鍵を閉じ込めてしまう。車でいう『インキー』である。
この鍵は束になっており、大事な所のキーがまとめてある。だから引き出しだけでなく、全てが使えなくなる。にっちもさっちもいかなくなったAさんは、手っ取り早く一番近い所にあるウチのレジ係に助けを求めてやってくる。
「おい、こういう時ってどうすりゃいいんだよ?!」
慌ててこちらに対策を教えてもらおうとする。でも秘策なんてない。
「事務所に行って、出納係にスペアキー借りてくるしかありませんよ。前もそうだったでしょ?」
こちらが笑いながらやんわりと指摘すると、
「んな前のこと、忘れちまってるよ!こちとら、歳なんだからさ!そっか、出納か、ありがと」
とぼやきながら、急ぎ足で事務所に向かうAさんを、笑いながら見送ることになる。

今の時期は自転車を購入される方が多い。毎日朝からひっきりなしに品定めをする方や、予約品の受け取りの方がやってくる。自転車コーナーは臨時のバイトを二人入れて、大忙しの様子である。
こういう時、Aさんはとても楽しそうだ。
「ったくよお、みんななんでこんな一斉に買いにくるんだよお。忙しいったらありゃしない。テメエんとこも靴やら鞄やら、今忙しいだろ?」
『テメエ』と言われても、Aさんには親近感すら覚えるから不思議である。
断っておくが、イケオジでは決してない。失礼ながら、そこらに居る普通のオッサンである。特に男前でもない。
「県立高校の合格発表、ついこの前でしたからねえ。受かる前に準備はできないから、しょうがないですよ」
「だなあ。なんでも目出てえのは良いんだけどよお、この忙しさ!勘弁して欲しいぜ。身体が持たねえよ」
そう言いながら、Aさんはニコニコしている。やっぱり元店長、いくつになっても商売繁盛が嬉しいんだなあ、と思う。

朝、開店時の扉開け当番で週に何度かご一緒させて頂くが、いつも一番大きな声で
「いらっしゃいませ」
「お待たせいたしました」
というのはAさんである。
開店早々、修理に駆け込んでくる方も多いが、
「はいはい、どうなさいました?」
とさっと腰をかがめて自転車を見回すAさんの様子は、当たり前だけど真剣そのものである。
それを横目で眺めながら、べらんめえ調のおっちょこちょいなオジサマの豹変ぶりに、私はちょっと笑いながらレジに戻るのである。