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ダブトンドード?

小学校5年生の時の話である。
担任が言った単語10個を漢字で書くという小テストが毎朝あった。そんなに難しいものではなく、大体はみんな満点を取っていた。
ところがある時私に返ってきたテストには、大きくバッテンがつけられている漢字があった。おかしいな、なんだろう?と見てみると、
『銅線』
という単語であった。よくよく眺めてみたが、何処も間違っていない。何故バツをつけられたのか、先生見間違いかな、と思って先生が黒板に正解を書いていくのを見ていると、私がバツをつけられた問題の正答を先生は大きく、
『造船』
と書いた。この瞬間、私はすべての合点がいき、マルをつけてもらうのを諦めた。

私の実家のある地域では、一部に『ざじずぜぞ』を『だぢづでど』と発音してしまう人達がいる。全員ではないので余計にややこしい。
教師は『ドーキン(雑巾)ちゃんと絞ってや』と生徒に注意し、社長は『デンシャ(全社)一丸となって頑張ろう』と社員を鼓舞する。老人は『何言うてんのか、デンデン(全然)聞こえへん』といえば、幼児は『動物園で一番見たいのはドウ(象)さん』と言う。そう言ってしまう人が存在する事が全地域的に容認されている為、誰も指摘したり笑ったりしない。
が、京都弁の飛び交う家で育った私が慣れるのは難しく、耳にする度に落ち着かない気分になっていた。

銅線事件から1年経った頃、6年生のクラスで演劇をする事になった。どんな内容だったかさっぱり忘れてしまったが、未だに覚えているのが、波の役をしていたTちゃんのセリフ回しである。
『ダッパーン、ダッパーン、ダッパーン…』
Tちゃんはふざけている訳ではない。
『ザッパーン』
と言っているつもりである。聞いているクラスメイトも先生も、
Tちゃんの『ダッパーン』=『ザッパーン』
であると頭の中で自動翻訳して聞いている。だから誰も笑わない。私にとっては大変不思議な光景であった。
脱藩といえば坂本龍馬やん、と心の中でツッコミを入れつつ黙っていた。

私のクラリネットの師匠のK先生は、偶然お祖父様がうちの実家の近くにお住まいであった。地元の話になった時そう言えば、と先生が、
「この前行ったら、おばが『ダブトンドード』って言ってくれました」
と笑いながら仰ったので、思わず吹き出してしまった。
『ダブトン』=『座布団』
『ドード』=『どうぞ』
つまり先生は、おば様に座布団を勧められたわけである。
先生と不思議ですよねえ、と笑いあった事であった。

『ゾンビ出てきてゾッとした』は『ドンビ出てきてドッとした』になる。自動翻訳機能の働かない人が聞けば意味不明な文章である。
ザ行とダ行が入れ替わっても元の単語がわかれば良いのだが、銅線と造船、残飯と談判など入れ替えると違う意味のある単語になってしまう場合が困る。国語的におかしくなってしまう。
本人に全く悪意がないので、なんとも悩ましい。

役所の受付だろうが銀行の窓口担当だろうがこの調子なので、大丈夫なのかなと思うが、聞き間違いが原因で酷い事になったという話は聞いたことがない。地元民の脳内自動翻訳機能によって、市政も銀行業務も粛々と行われているようだ。

こんな話も聞いた。
母の知り合いの娘さんが、
「結婚したい人がいる。家に連れてきて良いか」
というので喜んで迎えると、彼氏は青い目の外国人だったので予想外で大変驚いたそうである。
ご本人曰く、
「『カナダワの人や』って言うからよお、北陸出身のお人なんやな、ってお父さんと言うてたのによ。『カナダの人』やったんやして。もうビックリしてもうてよお」
と言うことであった。
この人は『ダッパーン族』であった。娘さんは違ったのだが、この知り合いの頭の中では『ダ=ザ』という自動翻訳が行われてしまった為、娘さんの言った『カナダ』を『カナダ(ワ)=金沢』と思い込んでしまったらしい。
娘さんは無事に国際結婚され、現在はカナダにお住まいだそうだ。人生の節目に於いても、こんな誤解が生じるのだから怖いというか、面白いというか、なんとも言えない。

私の地元以外にも、同じような発音になる地域はあちこちにあるようだ。どうしてそうなるのか、調べてみたことはない。案外何か面白い発見があるかも知れない。
どんなケースもトラブルの起きる可能性は『デロ(=0)』ではない。が、頭の中の自動翻訳の具合を想像するのは、失礼だけど私にとっては興味深い。