見出し画像

一パート従業員のささやかなお願い

H課長が二日付で転勤になった。随分お世話になっておいて言うのもなんだが、とてもホッとした。
課長はとても仕事のできる人であるが、それだけに部下にも容赦なく仕事をさせる。普段やるべき仕事に加えて、次々と言いつけられる仕事の量は四時間半くらいで到底こなせる量ではなかったので、私はしょっちゅう音を上げていた。
お陰で随分身体が楽になった。

後任はKさんという方である。本社の商品開発部にいらしたそうだ。
「在間さんね。Kです、よろしく。ボク、H(課長)みたいにこき使わないから安心してね」
初対面の時、そう言ってアハハと笑った。H課長とは大学の先輩後輩の間柄なんだそうだ。
外見はちょっとプーチン大統領に似ているけど、中身は優しそうだ。良かったあ、と一安心した。

…そう、一安心したつもりだった。確かに優しい方ではある。だが看過しがたい欠点がある。
誰でも欠点はある。だがKさんの欠点は致命的だ。
「社員なのにレジが全く打てない」
のである。

ご本人曰くは、本社勤務ばかりで現場に行くことが永らくなかったため、打つ必要がなかったから、らしい。
が、自分の持ち場でない売り場のレジまで遠征して違算の修正を行ったり、精算内容についてクレジットカード会社と直にやり取りなどしていたH課長と、あまりにも違い過ぎる。
「在間さん、レジ教えてね」
と言われたが、
「すいません、私もまだ入社して一年経たないので、教えて頂く方が圧倒的に多いんです」
と返事したら
「あ、そうなの?でもきっと僕よりマシだよ!」
とにこやかに言われてしまった。それ、嬉しくありません。

今日はOさんが出勤する午後一時まで、Kさんと二人きりだった。
十一時ごろレジの金種別残高を確認すると、千円札がやたら少ない。朝から一万円札を出す方がとても多く、予想外に減ってしまった。
「Kさん、両替行ってきて良いですか?千円札が心もとないので」
と聞いたらKさんはとても不安そうな顔をして、
「ええっ、ボク一人にしないでよ~お客さん来たら困っちゃうよ~」
と本当に困った顔をするので、こっちが困ってしまった。
うーん、Oさんが出勤するまでもたないこともないか。しかたなく、様子見を決め込むことにする。千円札切れになったら、隣のレジを開けよう。
それにしても、課長のこの困りっぷりはこの先の物凄い不安材料である。

そうこうするうちに、レジに電話がかかってきた。生憎お客様に呼ばれてしまったので出ることはできない。Kさんが出てくれるだろう、と思って放置しておいた。
私が戻ってくると、
「あのさあ、お客様から子供靴注文のキャンセルの電話入ったんだけど、誰に言えば良いの?」
とKさんに聞かれ、目が点になった。いや、普通は課長であるあなたに言えば済むのでは…。それに担当者、把握してないんですか?
しょうがなく私が子供靴担当のAさんの名前を挙げると、
「じゃあ、Aさんに言っといてね」
と丸投げされてしまった。いや、そういうのって伝達忘れを防ぐ為、電話を受けた人が連絡ノートに書くんではありませんでしたか?習ったと思いますが…。私電話の内容知りませんよ!
Kさんは軽い足取りで商品整理に行ってしまった。しょうがないのでAさん宛のメモを作成して連絡ノートに貼り付けておく。きちんとしたAさんの事だ。Kさんはとっちめられるかも知れないが、私は関係ありません。

その後レジをやっている最中に、靴のサイズをお尋ねの別のお客様が来られたので、インカムでKさんを呼んだ。が、全く応答はない。お客様はずっと待っていらっしゃる。せめて来れなくてもどんな状況か、を教えて欲しい。ダメなら二階の衣料のメンバーに応援要請するのだから。
業を煮やして、お客様用の「店員呼び出しボタン」をこれでもかというくらい連打してみた。お客様の子供さんが面白そうに私の手元を見ている。やってもらえば良かったかも、と思う。
音が聴こえたようでやっとKさんがやってきたので、引き継ぐことができてホッとした。

Kさん。
インカムはちゃんと応答して下さい。着ける意味がありません。
電話で聞いたことはちゃんとメモして、自分で連絡ノートに書いて下さい。
基本的なレジ操作は覚えて下さい。
一パート従業員からのささやかなお願いです。
よろしくお願い申し上げます。