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『舌技』はイヤよ

関東の冬がこんなに晴れの日が多いなんて、こちらに来て初めて知った。洗濯物はよく乾くし、陽射しはポカポカと暖かい。同じ日本でも随分地域差があるなあ、とちょっと不公平な感じがしている。
晴れるということは乾燥するということである。関西でも乾燥はするけれど、こんなに酷くない。こちらはカラッカラ、という印象である。冬でも割合マメに花壇の水やりをしたりしている。

これだけ乾燥するとレジでも困った事が起こる。レジ台に設置しているセロテープが裂けるのだ。
初めは安物買いやがって、経費節減し過ぎやろ、と思っていたのだが、そう言えば夏は裂けない。以前居た職員のFさんが
「冬は乾燥するからだよ。テープの品質の所為じゃない」
とぼやきながら、老眼鏡をずり上げて裂けたテープの端を探しておられたのを、最近になって思い出した。
お客様のお買い上げ品を入れる袋を留めるためのテープなのだが、予告もなしにいきなりシャーっと裂けてしまうので始末が悪い。こうなると、後ろのラッピング台に備え付けのテープ台を身体を後ろにねじって手繰り寄せ、使用せねばならなくなる。いちいち面倒だし、お客様をお待たせすることにもなってしまう。
なんとかならないかなあ、と毎冬ため息をついている。

乾燥するのはお客様も同じである。特に現金でお支払いをしようとされる方は、札入れから紙幣を取り出すのに一苦労される方が多くなる。
現金払いを希望されるのは八割以上高齢のお客様である。普段でも指や手が思うように動かないのに、寒さでかじかんだ上に乾燥して紙幣はツルツル滑り、指に引っかかってくれない。
食品レジのサッカー台にはアルコールの入った海綿みたいなものが置いてあるが、ウチにはそんなものはない。
ここで登場するのがお客様の『舌技』である。
マスクを顎にずらし、おもむろに指をべーっと舐める。ああ、やっちまったかい、とこちらが絶望的な気持ちになるのも知らず、一枚、二枚、と数えて取り出し、金銭授受用のトレーに押し付けるように置く。
「はい、これでお願いね」
とにこやかに言われると、顔で笑って心で泣くより他ない。

しかしこれも現金である。受け取らねばならない。
硬貨が一定の枚数を超えている場合は、受け取りを拒否できる。ちゃんと法律に規定がある。実際にあまり経験はないが、以前
「この子が生まれた時からの貯金なんです」
と缶の貯金箱を持参して、ランドセルのお支払いをしようとされたお客様をお断りしたことはある。
紙幣は法律に規定はないが、読み取りが出来ないとか、汚れ過ぎていてニセモノとの判別がつかない場合は商慣習として?拒否できるようだ。しかし唾が付いた程度では「バッチいので受け取りません」とは言えない。
こういう時は『コロナのご時世も良い点もあった』なんて思ってしまう。

受け取った現金はお客様の目の前で再勘しなければならない。レジ係の基本中の基本である。当然『素手』で、お客様の『べー』が付いた札を数える羽目になる。本当はつまむのも嫌であるが、しょうがない。しっかり数える。
嬉しい訳がないが、数える間も笑顔を絶やさない。『ありがとうございます』と言うのも忘れない。なんのイジメかと思う時もある。
レジの機械に吸い込まれていく紙幣を見ると、機械も嫌だろうなあ、と気の毒になってしまう。

レジの機械はどれもそうなっているのだと思うが、次のお客様にお釣りが必要な場合は、直近のお預かり紙幣から順番にお釣りとして出てくる。つまり『舌技』を駆使された一万円札以外の紙幣は、一旦レジの機械に回収された後、次のお客様のお釣りとして吐き出される訳だ。
傷んだ紙幣を受け取った時は『手入力』という方法で、お釣りとして出てこないよう、レジ内の引き出しに収める決まりだが、この程度の『汚れ』はこんなことをすると出納係に怒られてしまうので、あくまでも普通の扱いをする。
だから私達レジ係は二度、『べー』の付いた紙幣を手にすることになる。しかも、お釣りを渡す時はレジから出された紙幣は必ず再勘することになっている。
深く考えると発狂しそうになるので、私はこの時点で潔く諦めることにしている。

何故か『舌技』を駆使するお客様に限って、お支払い後にレジ前に設置した除菌用アルコールをやたらプッシュする傾向にある。なら最初からこっちで手を湿らせてくれれば良いのに、と思うが、お客様は無頓着である。自分の『舌技』が不潔だとは全く思ってらっしゃらないようだ。
不思議な感覚である。
お客様がお帰りになられた後は、携帯しているアルコールティッシュで手を丁寧に拭く。ついでに除菌用アルコールのボトルも綺麗に拭く。
アルコールで手を拭くとカサカサになるので、ハンドクリームも携帯している。カサカサのままだと手袋や帽子、マフラー、ハンカチなどの商品の繊維を、うっかり引っ掛けてしまうことがあるからだ。

乾燥する季節はあと二、三ヶ月だろうか。早く温かくなって欲しい。
お支払い時にマスクをずらすお客様に心の中でため息をつきながら、この冬も笑顔でレジに立っている。







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