見出し画像

『ブルブル』の季節

冬の楽器練習時は気を遣う。冷えた楽器に温かい呼気を入れると、楽器の内側が結露するからだ。冷たいガラスにはあっと息をかけると露が付くが、あれと同じことが楽器の内側で起こる。
では夏は結露しないか、というとそうではない。外気で楽器が冷えることはない。でも演奏する会場は冷房で冷えている。呼気は温かい。室温で楽器が冷やされて呼気との温度差が発生し、やっぱり結露する。
窓ガラスなら雑巾で拭けばいい。楽器はクリーニングスワブという紐のついた薄い布を通して拭きとる。
楽器を温めるのはゆっくりでないと割れることがある。息を入れて温めている人をちょくちょく見かけるが、いきなり吹くのと同じで危険な行為だ。カイロを使うか、私の場合は抱きしめて人肌のぬくもりを楽器に移すようにしている。手があたたかければ管体を握れば良いのだが、冬はあまり期待できないからだ。

普通、結露は水となってベルと呼ばれる楽器の最下部から滴り落ちる。だがこの水は、高い頻度でベルに到達するまでに外に出ようとする。クラリネットの場合、トーンホール(音孔)という名の穴が管本体の途中にいくつか開いているので、そこが水の出口になりやすい。
出ようとするときは水が大きな音を立てる。『ブヴォっ』というような、押さえつけられた水の風船が破裂するような音だ。この水のことを『ブルブル』と呼んだりするのはこの音のせいである。奏者にとってとても困る現象だ。

この水を取らなければ音孔が中途半端に塞がれた状態になり、音程は下がるし音色には雑音が入る。酷いと音が鳴らなかったりすることもある。つまり演奏が滞る原因になる。
本番中などスワブを通す時間がない時は、該当箇所に口を近づけて息を吹きかけて水を外に散らしたり、逆にチュッと吸い取ったりする。時間があればスワブも通すが、水を取るための専用の紙があり、これを素早く挟むことが多い。スワブを通すためにはマウスピースを外さねばならないが、紙だとその必要がないからだ。
この紙はクリーニングペーパーと呼ばれていて、大変吸水性に優れている。丁度脂取り紙のような小さな薄い紙なので、楽譜ファイルに一枚忍ばせるのも容易である。あると心強い。
我がクラリネットの師匠のK先生は
「水なんて、吹いた息の圧力で飛ばしてしまえますよ」
と仰るのだが、私の場合はそうはいかない。水がトーンホールに停滞すれば、スムーズに演奏できない。マメに水分を取ることになる。
一枚のペーパーで取り切れればいいが、水が多すぎて二枚以上必要になる時もある。水は流れる都合があるのか、何故か一度出始めたところからずっと続けて出てくる。一生懸命取るが、本番中は気も散るし非常に有難くない。取らねば余計に集中できない。
とても厄介だ。

パウダーペーパーと言って、クリーニングペーパーに細かい粉をまぶしたような紙もあるにはある。こちらはやや厚手で吸水性に優れており、水がすぐに消えるから音のトラブルは止まりやすい。が、この細かい粉が楽器を傷める原因になってしまうことがあるので、使用しないという人も多い。
音孔を塞ぐのはキーの先端についている、タンポというフェルトを羊皮紙でくるんだ丸い形状のものである。大きさは普通のクラリネットだと小さいものでは直径五ミリくらい、大きい物でも一センチちょっとかと思う。私は耐久性を考えて、全て皮製のタンポに変えている。
このタンポをくるむ薄い羊皮紙を、パウダーペーパーの細かい粉が破るのである。一気にビリっといくのではなく、じわじわ破れていく。音孔を塞いだり開けたりと言った動作によって摩擦が起こるのだ。
この理由によって、楽器屋さんによっては「ウチはパウダーペーパーを取り扱っておりません」と言うところもあるくらいだ。
私も先生の勧めにより、使っていない。今のところ不便は感じていない。

水が出るのを最小限に抑えるには、この季節には面倒でもこまめにスワブを通すしかない。
明日は立春。楽器演奏に最適な季節はもう少し先である。