Kちゃんの大切な楽器
Kちゃんは前に所属していた楽団に数年在籍していた、女子高生である。パートは私と同じ、クラリネットだった。
平均年齢の比較的高い我が楽団としては、彼女のような若者の存在は大変貴重で、彼女はそれはそれは大事にされていた。
こんな風に大人にチヤホヤされると有頂天になって、態度の大きくなる子もいるが、Kちゃんは至って素直で真面目な子で、熱心に毎週練習にやってきたから、みんなに好かれていた。
土曜日の夜毎に送迎する親御さんも大変だったろうと思う。
学校の吹奏楽部と違い、一般楽団は『自分の楽器を所有していること』が入団の条件になっている場合が殆どである。チューバなどの大型楽器や、打楽器などは楽団で所有している場合もあるが、資金力の乏しい一般楽団が、いくつも高い楽器を所有するのは無理があるからだ。
我が楽団もご多聞に漏れずそのケースだったから、Kちゃんが入団を希望した時も勿論、楽器所有の有無を尋ねた。
彼女は
「はい、持っています」
と即答した。
じゃあ良かった、と我々も一安心した。
いよいよKちゃんが合奏に初めてやってきた日のことである。
楽器を組み立てているKちゃんの手元を見た私は、複雑な気分になって一瞬固まってしまった。
彼女が持っていたのは確かに真新しいクラリネットだった。しかし、それは俗に言う『プラ管』、プラスチック製のクラリネットだったのである。
プラ管を使うメリットはあるにはある。
初心者は最初、楽器の組み立てなどが上手く出来ないことが多い。
上管と下管のジョイント部分を接合するには、キーを押さえながら組まねばならないのだが、初心者はこれに失敗して楽器を破損してしまうことがままある。
しっかり親指で楽器をホールド出来なくて、落としてしまうこともある。
高価な楽器は何十万とするが、安価な楽器なら取り扱いに失敗して壊してしまっても、あまりショックを受けなくて済む。だから一年生が最初に持つ楽器を、敢えてプラ管にする学校もある。
温度変化で割れることがないから、屋外での演奏などにも重宝する。
だが、プラ管は『音楽を奏でる』ということに於いては、大変劣っていると言わざるを得ない。
音質が良くない。プラスチック特有の音がする。音程に至っては、もっと酷い。
師匠のK先生が
「プラ管は玩具です。楽器ではありません」
と断言するのも頷ける。
このようなことは、クラリネットをやっている人間にとっては常識だ。だから誰もプラ管で合奏に参加する人なんていない。
しかしKちゃんが持ってきたのは、その『プラ管』だったのである。
なんでよりによってそれやねん、という思いで、私は見るともなしに彼女の楽器を見ていた。
彼女の嬉しそうな様子に、心中複雑だった。
Kちゃんの居る高校にも吹奏楽部はちゃんとあった。
そこは活動に熱心で、コンクールで金賞を獲ることを常に目指しているようなところだった。
普通なら、学校の吹奏楽部に入ると思う。同年代の友人だって沢山出来る筈だ。そうしなかった訳を訊いてみたことがあった。
Kちゃんは『ガツガツやりたくないけど、吹奏楽はしたい』と思ったが、それを叶えてくれそうな活動が学校になかったから、とニコニコしながら答えてくれた。
先生に習っている訳でもないし、先輩がいるわけでもない。『吹奏楽の常識』を知らないまま、嬉々とて楽器を用意した彼女に、
「プラ管は楽器じゃないから、木管を用意して」
なんて、誰が言えるだろう。
彼女は毎週の練習が終わると、いつも丁寧に楽器を磨いてからケースにしまっていた。
あんなに丁寧に楽器を扱う子なら、きっと木管でも大事にしただろうに、と思うとなんとも言えない残念な気分になった。
親御さんも音楽とは全く縁がなかった、と仰っていたから、きっと購入に際して誰の助言も受けなかったんだろう。
学生さんは受験、卒業、就職、といった節目を迎えると、ライフスタイルが大きく変わる為、九割方退団していく。
Kちゃんも関東の大学に進学することになり、退団していった。
結局最後まで誰も、彼女に『プラ管』云々の指摘をすることはなかった。
「大学に入っても吹奏楽を続ける」と言っていたKちゃん。あの楽器を持って行ったなら、きっとカルチャーショックを受けたに違いない。
今も楽器を続けているんだろうか。あのプラ管はまだ彼女の手元にあるんだろうか。
吹奏楽部の学生さんを見ると、ふとプラ管を磨いていた彼女の姿を思い出すことがある。