見出し画像

おっちゃんのこと

子供の頃、同じ町内にHさんという50代くらいのおじさんがいた。大変面倒見の良い人で、子供会の世話役を一手に引き受けて、キャンプと言えばついてきてまめまめしく世話をしてくれるし、キックベースボールの試合とあらば審判を買って出てくれた。
仕事も普通にしておられたとは思うが、今思えば本当によく子供たちに付き合って下さった。
私達はHさんのことを「おっちゃん」と呼んでいた。

おっちゃんは地元の放送局でカメラマンをしておられた。私達子供に、
「この前はマッチと喋ったんやぞ」
「松田聖子ちゃんはワシのことを『〇〇局のおっちゃん』っていうんや」
などと当時人気者だったアイドルの名前を挙げては、親しそうに自慢話をして、私達を羨ましがらせた。ただ、
「おっちゃん、聖子ちゃんのサイン貰ってきてよ」
と頼むと、
「おう、お安い御用や」
と威勢よく請け負ってくれるのだが、一度たりともサインをもらってきてくれたことはなく、私達は、
「おっちゃん嘘つきや」
とブウブウ言っていた。

おっちゃんは親たちには受けが悪かった。特定の宗教を信じているから子供を使って宣伝しているんだとか、あんなにベタベタしていやらしい、ロリコンじゃないかとか、市会議員に立候補する気で点数稼ぎしているんじゃないか、とか言われて嫌われていた。
例の嘘についても、
「子供に取り入ろうとしている」
と極めて評判が悪かった。

子供達もおっちゃんが大好きかと言えば、それほどでもなかった。が、大人達の言うようなよこしまな目的は誰も感じていなかったと思う。実際おっちゃんに宗教をすすめられた人はなかったし、子供が触られたりといった被害も聞かなかった。市会議員に立候補もしなかった。
アイドルのサインをもらってきてくれないことに対してはみんな不満には思っていたが、どこか本気にしていないというか、おっちゃんの「大言壮語」であることをみんな心のどこかで分かっていて、最初から諦めていたように思う。

大人が子供会のイベントに関わってくれるのは嬉しくはあったが、大抵は輪番制で義務的な活動だったようだ。自分の親を含めて、グダグダした様子の大人が多かった。
が、おっちゃんだけはいつもとても嬉しそうで、目をキラキラさせて、子供のように楽しんでいた。夏祭りでは自ら率先して盆踊りの太鼓を叩き、キャンプファイアーでは子供に声をかけて火に近づき過ぎないようにし、キックベースボールでは子供同士が揉めても公平な判定をして、仲裁していた。時には憎まれ役になることもあったが、
「はいはい、もうこの件はしまいや」
と言って、揉めている子供同士の肩をポンポンと叩き、仲直りせえ、と促していた。

勿論全て無償だったし、多分どの親もお礼などは持って行っていなかったと思う。
何もメリットはないのに、なぜおっちゃんはあんなにみんなに関わってくれたのだろう。当時おっちゃんの娘たちはとっくに大きくなっていて、子供会なんて関係なかった。親しい人の子供が居た訳でもなかったようだ。特に誰かをえこひいきするとか、そんなことはなかった。子供に慕われたい、という暑苦しい感じも受けなかった。奉仕精神もさして感じない。子供はこういうことにとても敏感だから、多分間違いないと思う。
子供心に、おっちゃんなんであんなに一生懸命やってくれるねんろ、となんとなく不思議には思っていた。大人達もそこが理解できなかったから、怪しんでいたのだと思う。

自分が子供会と無縁になってからは、おっちゃんを見かけることはあっても、せいぜい大人びた会釈をするくらいで親しく会話することもなかった。
「おう、もう中学校か」
と声をかけてくれることはあっても、それ以上の会話もしなかった。
大きくなるにつけ、「物好きな大人」という風に冷めた目で見ていた。私の目も周りの大人の見方に近づいていっていた、ということだろう。

おっちゃんは随分前に亡くなったと聞いた。
どうしてあんなに熱心だったのか、私には未だにおっちゃんの真意はわからない。自分も純粋に子供達と一緒に楽しみたかっただけなのだろうか。そんな大人が本当にいるのだろうか。
狭量な私には不可解でしかない。

それでもクリスマスが近づくと、サンタになってみんなにお菓子を配っていたおっちゃんを、懐かしく思い出すのは何故だろう。