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あわしまはん

両手にたくさんの荷物をぶら下げていたり、長くビラビラしたような装飾の着いた服装をしている人のことを、ウチの母は『あわしまはん』と呼ぶ。
母は京都の出身なので、その辺りの方言かと思っていたのだが、調べてみても一向に語源に辿り着けない。
母に尋ねてみたこともあるが、母自身も曖昧だった。母の母、つまり私の祖母の口癖だったようだ。
祖母は京都の田舎の出身なので、その地方の方言なのかも知れない。しかし今のところ、詳しいことは何一つわかっていない。

小学校の終業式前後に、子供達が学校に置いていた様々な学用品や図工の作品などを沢山提げて、気怠そうな足取りで帰る様子を窓越しに見かけると、母はいつも
「ああ、『あわしまはん』がぎょうさん帰って来はったわ」
と言って笑ったものだった。
私が時折、沢山の荷物を提げて出かける時なども、
「いやあ、あんた、『あわしまはん』みたいな格好して、どうえ?」
と驚きつつ笑われたりした。

母の口からこの言葉を聞く度に、子供の頃から何とも言えない不思議な感覚を覚えていたのを思い出す。
人の見た目を揶揄するような言葉の筈なのに、不快感がない。ちょっとユーモラスで、聞くとつい微笑んでしまうような温かさがある。その癖、正確に見た目の様子を表現している。
自分の辞書にはない言葉だったが、私はこの言葉が昔からなんとなく好きだった。
自分が言われても、腹が立つことも、鬱陶しいと思うこともなかったから、本当に不思議な言葉だった。

春休みが近づき、近くの小学校の生徒たちが手に手に沢山の荷物を持って帰る様子を見かけると、
『ああ、『あわしまはん』がいっぱい帰って来た』
とつい思ってしまう。
そんな時の私の心には、小さな身体に似合わない、大きな荷物を山のように提げた小学生を可愛いと思う気持ちが芽生えている。
ズルズルと引きずりながら持って帰る子を見れば、
『ああ、そんなに引き摺ったら破れるよ!担がないと!』
と昔、自分の子供に思ったような、ハラハラするお節介な気持ちも顔を出す。
大勢の『あわしまはん』の群れとすれ違う時、懐かしいのと可愛らしいのでほのぼのする。

楽団の練習に行く時の私の格好は、『あわしまはん』そのものである。
クラリネット二本、譜面台、スタンド、楽譜、お手入れグッズ、リード、と書けば、なんだそれだけか、大したこともないのに何を大袈裟な、と思われるかもしれない。大型楽器の人に比べれば確かに荷物は少ないだろう。
しかし、クラリネット二本はそれぞれケースに入っている。ダブルケースではないので、二つのケースを持つことになる。これが嵩張る。二つのケースをまとめて一つの鞄に入れたいところだが、そうなるとかなり大きめの鞄が必要になる。
私は楽器ケースに楽譜や他の小物類を入れているのだが、こうするとケースがとんでもなく大きく膨らんでしまう。幅二十五センチ、長さ四十センチ、横ニ十センチくらいの大きな重い箱を背負って、手にはエスクラリネットのケースとお茶などの入った鞄を提げているから、正に『あわしまはん』状態である。
電車の中では、周りの人にちょっと迷惑顔をされてしまうこともある。
そんな時、
『ああ今の私、『あわしまはん』やなあ』
と思うと、遠慮して縮こまっていた気持ちがほんの少し緩む。

母の頼りない?推測によると、『淡島神』という神様がこういう沢山の物を身体からぶらさげている様子に例えた言い方なのではないか、ということだったが、私が調べてみてもシンプルな服装の淡島神も描かれており、必ずしもそうとばかりも言えないようだ。
『○○はん』という京都特有の柔らかい尊称?がこのような雰囲気を醸し出しているのかも知れない。もしくは『淡島神』という身近な神様に例えられることで、何か安心するような気持ちになるのかも知れない。
由来は今のところ、よく分からない。けれど、ブラブラ物を沢山ぶらさげている人を見たり、自分がそういういで立ちをすると、いつも反射的に『あわしまはん』という言葉が浮かぶ。
その度に私はどこかホッとする気持ちにさせられるのである。