なくて七癖
誰にでも、いつも無意識にしてしまう仕草や言ってしまう言葉があると思う。
夫は朝起きてくると、必ずパジャマのズボンの裾が片方だけズリ上がっている。どういう寝方をすればああなるのか不思議なのだが、毎朝である。
本人に聞いてみたが、思い当たる節はないらしい。
子供もそっくり同じ癖があるので、寝相に原因があるのではないか、と思っているが未だにわかっていない。我が家のミステリーの一つである。
小学校4年生の頃、私は爪を酷く噛む癖があった。噛みすぎてうっすら血が滲んでいたくらいだった。
親には見つかる度に「また爪噛んでる!やめなさい!」と厳しく注意されたり、時には手を払われたりした。
噛みたくて噛むのではなく、噛まないといられないから噛む、と言った感じだった。当時の遠い記憶を手繰ってみるが、どうしてあんなに爪ばかり噛んでいたのか、よくわからない。
不潔でもあるし、見てくれも悪い。
もしかしたら、心の何処かに不安とか不満とかが溜まっていて、うっぷんばらしの為にやっていたのかも、とも思うが、単にヒマだったのかも知れない。
クラリネットの師匠であるK先生は、ある特定の音を吹き終えた時に、左手を孤を描いて楽器から離す癖があった。
とても音楽の流れに乗っている感じがして、素敵な動かし方をされるんだなあ、と私は先生の綺麗な手を惚れ惚れと眺めていた。
だがご自身には全く自覚はなかったようで、私が
「先生、こう手を動かされるの、カッコいいですねえ!」
と大いに褒め言葉のつもりで言ったらギョッとされて、
「え!?僕そんな事してましたか?癖だなあ、恥ずかしいなあ」
と珍しく照れ臭そうにされていた。
先生はあまり良いことではない風に仰ったけれど、なんだか格好よくて真似ているうちに私も癖づいてしまった。
若い頃の職場で一緒だった同期入社のMちゃんは、お札を勘定する時に段々口が開く、という癖があった。
私達は『札勘』を必ずマスターしなければならず、新人研修では毎日のように全員が練習していた。
慣れれば何でもなく出来るのだが、扇のようにサッと開くようになるにはそれなりの鍛錬が必要で、新人時代は皆大抵四苦八苦するものである。
大体の新人は、お札を睨みつけるようにしてどんどん顎を引いてしまいがちなのだが、Mちゃんは逆に段々顎が上がっていく。そしてそれと比例するように、口が開いていく。
みんなが面白がって見ていても気づかない。
「M、口は閉じとけよ」
講師に笑いながら言われて、初めてハッと口を閉じて赤面するMちゃんを見て、大笑いしたものだった。
のんびり屋のMちゃんらしい癖であった。
私の母は、寝ている時に激しく歯ぎしりする癖があった。
凄い音がする。音を聴いた妹が、空き巣が入ったに違いない、と布団を被って震えていた事があるくらいである。
私も聴いた事があるが、パリパリと乾いた、暗い所で聴くには結構怖い音である。
ところが以前、私もかかりつけの歯医者さんに、
「もう限界ですね。マウスピース作りましょう」
と言われてびっくりした。
私も母と同じ癖があったようだ。今でも毎晩、マウスピースを噛んで寝ている。おかげで歯ぎしり音は収まっているようだ。
人は皆それぞれ癖がある。
ずっとある癖もあれば、私の爪噛みのように、途中でなくなってしまった癖もあるが、その人を思い出す時、その癖も懐かしく思い出す。
有り難くないものもあるが、癖には無意識下のその人の人となりが表れていて、興味深いものだと思う。