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逃げてはいけないこと

「実はウチの売り場には、もう一人社員さんが居るんですよ」
先日、Mさんに言われて驚いた。私が入社して以来、そんな人にお目にかかったことは一度もなかったからである。Xさんと言い、長期休職中らしい。
その方が来てくれると、今の超人手不足が少しは解消されるんだけど、とMさんがぼやくので、
「デキる方なんですか?どんな理由でお休みされてるんですか?」
と聞いたら、Mさんは言葉を濁した。

Mさんによると、Xさんはどうも前任のH課長と折り合いが悪かったらしい。H課長ははっきりと注意するタイプで、ミスをすると怒鳴ったりこそしないが
「同じミスを二度繰り返さないようにして下さいね!」
とこっちの目を見ながらしっかり言う方だった。
そうは言われても、こちらは記憶力と瞬発力に衰えの出てきている五十代である上に、不器用ときているから、やらかしてしまうことは多々あったが、
「スイマセン!やらかしました!」
と私が言う度に、ため息をつきながらも粛々と事後処理をやって下さった。
ネチネチ理不尽にいじめられた、という記憶はない。人使いが荒いなあ、とは思ったが、課長も必死だったんだろう、と今になれば思う。出来ないことは出来ないと言い切って、自分で労働過重になるのもくいとめたから、実害は被らなかった。
今でも課長から教えられたことで「なるほど、こういうわけで注意されたのか」と腑に落ちる事が度々ある。

Mさんによると、Xさんは小さなミスの多い人だったという。そしてH課長に注意されるのを恐れてそのミスを「隠し」たり、或いは報告しないで課長から「逃げる」人だったらしい。人間的に苦手なタイプだったのだろうか。
しかしそれは怒られるだろう。H課長だって救ってやりようがない。
そういったことを繰り返すうちに、Xさんは次第に出社が困難になり、ついに仕事中に過呼吸で倒れてしまったそうだ。勿論大騒ぎになり、H課長がいる間は取り敢えず休職、という扱いになったらしい。H課長も良い気持ちはしなかったろう。
今回課長が異動になったので、一部の古くから居る人の間では「戻ってきても良いんじゃない」という話が持ち上がっているのだという。
Mさんの話を聞いて、そんな人出社してもどうかなあ、と私は思った。同じような目に会ったら、また同じことになるに決まっているのではないか。そんな予測は簡単につくが、猫の手も借りたい現状では「いないよりマシ」なのだろうか。
退職なさっていない、と言うことは復帰する気があるという事か。仕事が好きなのだろうか。
失礼ながら、素朴な疑問ばかり頭に浮かぶ。

ミスをする自分がいけないのではない。ミスは誰にでもある。間違えてもまたやり直せば良い。時には大チョンボをやらかして凹むこともあるだろうけど、なんとかなる。どんな大チョンボでも、地球規模で見ればたいしたことはない。
「私はこういう失敗をしてしまった」と言う『事実』を正面から、なんの評価もせずに受け止める。だって起こってしまったことは変えようがないではないか。厳しく注意されても、それが理不尽なものでない限り、ちゃんと聞いて次に生かせばいい。救ってもらったことに感謝し、有難いことだと思えばいいだけのことだ。
ミスを隠すのは頂けない。隠しおおせるものでもない。

ダメな自分を受け入れるのは勇気が要る。ミスを犯した自分を認めたくない気持ちはわかる。だけどそこに拘泥していては、益々自分を惨めにするだけである。
開き直れ、というわけではない。似ているけれど、開き直りには謙虚さと反省が欠けている。
事実を事実として認め、自分の犯したミスを自己評価と切り離した上で自分事にすれば、素直に謝罪の言葉が口から出て、自然と自分の出来ることを探す行動が取れる筈である。例え相手のことが苦手でも、そこは別だと思うのだが。

ミスをしたまま逃げても、逃げおおせることは出来ない。運良くミスから逃げることは出来ても、「ミスを犯したまま逃げてしまった自分はダメな奴」というとんでもなく低い自己評価からは逃れられないからである。
自分と向き合うことから逃げていては、幸せにはなれない。

ご本人と経緯を詳しく存じ上げないので断言は出来ないが、そこに気付いて向き合わない限り、Xさんは同じ事を繰り返すような気がする。
気付いて向き合うのは、本人しか出来ない。
理不尽なことからは逃げても良い。でもどんな自分でも認めて、向き合って、「それでいい」と受け入れて、そこから自分がどうありたいかをちゃんと考えることからは逃げられないし、逃げてはいけない。
Xさんはどうなさるのだろう。