見出し画像

お値段なり

昨日の事である。
レジに入っている私を売り場から手招きするお客様がいらした。生憎早朝の時間帯で、売り場係員は一人もいない。レジ担当の私でわかることかな、とちょっと不安に思いつつ、お客様のところに向かう。
お客様はデニム地のサンダルをご覧になっていた。そのうちの一足を指差し、
「これ、同じのはないの?」
と仰った。
これは靴売り場ではしばしば耳にする質問である。誰かが試しに履いた後の靴を買いたくない、という方は多い。気持ちはとてもわかる。今回もそうかな、と思ったら、
「これね、ホラここ。染めムラがあるでしょう?」
と仰る。
お客様が指差す部分は足の甲の部分だ。サンダルでは最も目立つ部分である。しかしそう言われれば、若干染めにムラがあるような気がする・・・という程度だ。顔を近づけてよく見なければわからない。
お客様は、
「こういうの、商品として出すってどうなの?」
と不満そうに言われるが、お値段は千九百円。汚れているなら、どんなに安い商品でも陳列してはいけない。が、この値段でこの程度ならしょうがないレベルではないか、と個人的には思った。
いずれにしても現品限りの商品なので、こちらはどうしようもない。そういう商品だ、と言わねばならない。
申し訳ありません、というのも違う。悪いことはしていない。ただ単に、このお客様の気に入らなかっただけである。
「生憎、こちらだけでございます。染めムラは汚れとは異なりますので、この状態で商品としてお出ししております」
と答えたら、
「値引きしてくれるとかはないのね?じゃあもういいわ!」
と仰って憤然と帰っていかれたので、ああそれが目的だったのか、と腑に落ちた。体のいい、いちゃもんである。あわよくば値切ろう、という魂胆だったのだろうか。
最近は慣れてきて、こういう方にも腹はたたなくなってきた。

これが値段のはるものなら、メーカーに問い合わせ、在庫確認でもしたかもしれない。しかし、千九百円である。染めムラが嫌な人は買わなくてもいいよ、と思う。店としても多分、そういうつもりで出しているのだろう。
勿論、店はちゃんとした商品を並べなくてはならない。例え安くても汚れていたり、機能に欠陥のある商品を売るのは許されない。
けれど、品質はある意味「お値段なり」である。高級品なら生地のチェックまでして作っているだろうが、千九百円の商品では多分していない。そのくらい予測が付きそうなものだ。
が、お客様の中にはどんな商品にも高級品並みの「完璧」を求める方が時折いらっしゃる。三枚九百円のハンカチの刺繍が多少歪んでいても、私なんぞはまあ安いししゃあない、と思うのだが、
「これって、安くできないの?」
と聞いてくる方は案外多い。

安い商品であっても、自分のお金を出すとなればちょっとでも良いものを手に入れたい、というのは当たり前だと思う。お金を大切にする、良い心掛けだとも言える。
それはさておき、安い商品にまで高級品並みの完璧さを求める、というのは如何なものかと思う。
「安かろう、悪かろう」ではないようにしようとするのは大変な労力が必要である。
材料を厳選し、一流の職人を使って作るものは良いものになるだろうが、材料費と人件費を価格に反映させなければ、いずれ会社がつぶれてしまう。
悪い素材を使い、適当に作れば安くは仕上がるが、買う人の満足度は低いだろう。
値段と品質、両方で顧客を満足させるのは難しい。一昔前の日本は、安い人件費でそれを隅々まで実現してきた。が、もうとっくにそんな時代ではない。
安い商品に完璧を求めるお客様はきっと、そう言う時代の価値観を刷り込まれていらっしゃるのだと思う。

より高い満足を提供したいのは山々だが、こちらはそのお値段で出来る精一杯を提供している。企業努力の余地があればもっと価格を下げれば良いが、企業を取り巻く環境はどっちを向いても厳しい。
人件費を下げれば人が集まらない。経費節減もみみっちいくらいやっている。でも追い付かない。
こういった苦境を乗りきることで企業は大きく成長することも出来るだろうが、限界はあると思う。

顧客はドンドン要求すれば良いのか。顧客の要求に答えようとすることで、より良い商品は生まれてきた。だが「お値段なり」で納得することも、時と場合によっては必要なのではないか。
こんな疑問が胸に去来する今日この頃である。