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親友なので悩ましい

関西にいる私の親友のNちゃんは、マメに連絡をくれる人である。
「今日はこっちは寒いよ」
「桜が咲いたよ」
「春らしくなってきたね」
などというメッセージを、ほぼ毎日送ってきてくれる。
故郷を遠く離れた私にとって、彼女のメッセージはとても有難い。

…有難い。確かに有難い。いや、最近は有難いと思うようにしている、と言った方が近い。
こちらに来て最初の頃は、ああ気遣ってくれてるんだな、としみじみ嬉しかった。が、私がこちらに来てぼつぼつ一年半になる。最近はちょっと頻度が高すぎると感じている。
連絡をくれれば、知らない人ではないから放置できない。返事することになる。毎日だと話題に困る。天気とニュースくらいである。私の心が望んでいない、不毛なやりとりをすることになる。
やり取りを終わりにするつもりでスタンプ一つで返すと、またスタンプが一つ返って来る。その後はスタンプのラリーになる。私がやめるまで彼女は止めないので、頃合いを見て「おやすみ」のスタンプを送り、だんまりを決め込むことにしている。酷いことを言うようだけれど、面倒くさい。
でも親友なので悩ましい。

回数が多いのが困るだけではない。
彼女はとある老人ホームで働いているのだが、
「今日は入所者さんが○○って我儘言って困った」
「今日は事務所の人が自分の仕事を私に押し付けて腹が立った」
と言った類の「仕事の愚痴」を言ってくることが圧倒的に多いのである。
それだけではない。お姑さん、旦那さん、娘さん…について彼女が語るのは全て「愚痴」である。良い話が全くと言っていいほどない。正直、聞きたくないというか読みたくない。
自分の身体のことはもっと頻繁で、
「肩が凝ってこまる」
「血圧が高い。病気かも」
「身体がだるい。検査したい」
などなど、まるでウチの姑と喋っているようなことを、毎回毎回飽きもせず言ってくる。最初の頃は真剣に心配したが、最近は文面を見る度ため息が出る。
彼女は早くに両親を病気で亡くしている。身体のことに敏感になるのは理解できるし、悪いことではない。しかしこう何度も繰り返し言われると、こっちまで病気になりそうである。
でも親友なので悩ましい。

多分、彼女は漏らすところがないのだろう。だからって、毎日こちらに持ち込まれると嬉しくない。狭量で申し訳ないとは思う。だがこちらは彼女に愚痴などこぼしていない。理由は単純、自分が疲れるからだ。
ネガティブな言葉はネガティブな現実を引き寄せる。「言霊」と言うのは本当で、言葉には魂が宿る。だから日頃、他人に対する言葉だけでなく、自分の出す言葉全てになるべく気を付けるようにしている私にとって、ネガティブな言葉はできるだけ耳に入れたくない。目にしたくない。
しかし、彼女は容赦なく毎度毎度、悪気なくネガティブシャワーを浴びせてくる。
でも親友なので悩ましい。

彼女は最近更年期に関する書籍を読みまくっている。それも「○○しないとこうなってしまいます」と言った、「脅す系」の本ばかりである。先日のLINEの文面はいきなり強烈だった。
「もう私らの年齢って『老年期』なんやって」
ちょっと待って、と言いたくなった。「更年期」ではあるが、「老年期」とは言い過ぎではないかと思った。確かに彼女の読んだ書籍にはそう書いてあったらしいのだが、私にすれば「それがどうした、ほっといてくれ」という気分である。
瀧島未香さんを見ろ。「年齢はただの数字」と仰る、九十二歳の現役インストラクターである。元は体操選手などではなく、普通の主婦だ。インストラクターになられたのは御年八十七歳の時である。私が「老年期」だったら、瀧島さんは一体何なのだ。人間誰だって「今日」が一番若い日なのだ。
別に「老年期」と感じたい人は感じればいいが、価値観の押し売りはごめんだ。私も自分の価値観の押しつけはしたくないし、しない。でも後ろ向きな話はなるべくしたくない。
でも親友なので悩ましい。

結局、返事をするからまた連絡をくれるので、申し訳ない思いではあるが思い切って返信をやめてみた。
今のところ三日間、連絡はない。
この三日間、私の心の平穏さと言ったらない。毎日清々しい。
でも心の片隅に、申し訳ない気分が少ーしこびりついている。

Nちゃん、ごめんなあ。薄情なようやけど私、ネガティブな話あんまりしたくないねん。もうちょっと頻度減らしてくれたら、聞くんやけどな。
…と言いたいところだが、黙っている。
はあ、親友なので悩ましい。