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商売、商売!

先日の朝のことである。いつものようにレジに入っていたら、
「おい!ちょっと!」
という男性の大きな声がする。奥様でも呼んでらっしゃるのかな、と思って掃除を続けていたら同じ声が再び、
「おい!そこの店員!」
と言う。店員は今、売り場に私一人だから私のことだろう、と思って声の在りかをキョロキョロ探すが、靴の棚に埋もれて見えない。しょうがなくレジに『御用の節はこのボタンを押してお待ちください』の立て札と呼び出しボタンを置いて売り場に声の主を探しに行くと、
「こっちだ、こっち!」
とちょっと怒気を含んだ声が後ろから聞こえてきた。振り返ると一人の男性が椅子に座ってこちらを凝視している。歳の頃は七十代といったところだろうか。

「申し訳ございません。大変お待たせ致しました。靴をお探しですか?」
丁寧に尋ねると、男性はイライラと
「靴売り場に来ているんだから、靴を探しに来たに決まってんだろう!」
と声を荒げた。まあ確かに言えてる。けれど朝から随分テンションの高い人だなあ、脳の血管切れるで、と思いつつ顔には出さず(出ていなかったはず)、
「大変失礼致しました。どのような靴をお探しですか?」
と笑顔を作って尋ねると、
「この店で一番軽いシューズを持ってこい。紐のある靴はダメだ。履くのに手間がかかるのも嫌だ」
と言って、お客様はふんぞり返った。

『軽量』『超軽量』と銘打った靴は世の中に沢山出ている。というか、お客様のニーズがそこにあることが多いので、メーカーとしても重要な宣伝文句としてそう書いてくる。多分ウチで販売されている靴の半分くらいは『軽量』を謳い文句にしているだろう。
が、実際にそれが何グラムか、は測ってみなければわからない。そもそも靴の構造によっては『これ以上軽くはできません』という最低ラインがある。デザインが気に入っても、軽くはない靴、というのは存在する。
そして何より『軽い』と感じるのは人それぞれ。同じ靴でも『今一つ軽くない』と感じる人もいる。
そんな訳だから、漠然と『店で一番軽い靴』と言われても困る。測ってみたこともない。

『履くのに手間がかからない靴』というのはあまり存在しない。究極は介護用の、他人が着脱させやすいタイプのものが最も手間がかからないが、普通は靴ベラを入れて足を滑り込ませ、紐を結び・・・とそれなりの手間がかかる。
そういう宣伝をしている靴は確かにあるけれども、特定のメーカーのものだけで、そんなに数は出ていないのが現状である。
しかしこのお客様のご様子から察するに、こういう御託を四の五の並べてみたところで却って癇癪玉を爆発させるお手伝いをするだけだろう。
こういう時は相手に気付かれないように『私はバカです』スイッチを入れるに限る。
それでも、どうしても以下の二点は訊かねばならない。私は姿勢を低くして、お客様を見上げながら訊いた。
「かしこまりました。サイズは何センチをお探しですか?あと、ご予算はおいくらくらいをお考えでしょうか?」

ところがここにもお客様の沸点はあった。
「二十六センチだよ!予算?そんなの、いくらだっていいんだよ!兎に角軽いの持って来いよ!」
私は密かにほくそ笑んだ。ほほう、言いましたね。『いくらでもいい』。なんて太っ腹でらっしゃる。
まあそう言ったところで、ここは銀座の高級靴店ではないから、たかが知れている。私はここぞとばかり、店で一番高い某有名メーカーの最新商品を持ってきた。スニーカーだが紐がなく、靴ベラなしで履けることを売り文句にしている。デザインも良いし、丈夫である。お値段は約二万円。どうだ、買ってみろよ。
「こちらなど如何でしょう?大変軽量で履きやすく、オシャレなデザインになっております」
しれっと勧めてみると、お客様はちらりと値札を見てちょっと目を剥いた。でもあんた、いくらでも良いって言いましたよねえ。
「わかった。試着して、買うかどうか決めるから、あんたは戻って良い」
「かしこまりました。では何かございましたら、お呼び下さいませ」
丁寧にお辞儀をして靴ベラを手渡し、何食わぬ顔をしてレジに戻った。
さあ、買うかな?

しばらして、お客様がレジにやってきた。さっきの靴を持っている。
「これ、貰う」
おお、買いますか。心なしか、後には引けなくなった感が漂っていてちょっと笑える。無理しなくて良いとは思うが、良い商品には違いないから、履けば確かに心地良かったのだろう。
「ありがとうございます」
無事、お会計を済ませてお見送りした。何故かちょっと爽快だった。

十時に靴担当のDさんが出勤してきたので、
「○○社の一番高い奴、朝一で売れましたよ」
と報告したら、
「うそ!凄いね!初めてじゃないかな。課長が喜ぶよ」
というので、顛末を説明したら
「さすが、関西人!上手いねえ」
とDさんはクスクス笑っていた。

こういう駆け引きも面白い、と思えるようになったパート勤め二年目の秋である。