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たかがマーチ、されどマーチ

吹奏楽コンクールの課題曲が決まった。今年はマーチだ。
『マーチだと楽で良い』などという人もいるが、楽団員みんながみんな、そう思うわけでもない。
特にクラリネット界隈では『マーチかあ、吹きっぱなしでしんどいなあ』という嘆きの声が聞かれる。

マーチと言えば『星条旗よ永遠なれ』とか『ワシントン・ポスト』(二曲ともJ.P.スーザ作曲)とか『双頭の鷲の旗の下に』(J.F.ワーグナー作曲)等の有名な曲がゴマンとある。
あまり音楽を知らないという人でも、何か一曲くらいは知っていると思う。『軍艦マーチ』(瀬戸口藤吉作曲)を知らない人は少ないだろう。
曲想もリズムも単純明快で、聴いていて楽しい。繰り返す明るいフレーズは、容易に記憶に残る。口笑んだり、手拍子したりして演奏者と一体になって楽しむことが出来る。気分が上がる。
コンサートでアンケートを取ると、『聴きたい曲』の欄に多くのお客様が『マーチ』と書かれるのも頷ける。

しかし演奏する方からすると、マーチは決して単純で楽しいだけの音楽ではない。
拍の数え方は『三百六十五歩のマーチ』(米山正夫作曲、星野哲郎作詞)の歌詞にあるように、『ワン、ツー、ワン、ツー』である(普通は『イチ、ニ』という)が、単純にこう数えていては演奏が重くなる。
『ワン』は強拍、『ツー』は弱拍である。つまり『強、弱、強、弱』ということになる。それをしっかり感じながら演奏しないと、テンポ感が出ない。演奏が前に進まず、停滞した印象を与えてしまう。つまり聴いてて楽しくない。そして行進曲なのに歩き辛くなる。強拍が右足を踏むタイミングだからだ。
更に、『四分音符で拍を感じず、八分音符で感じる』必要がある。
つまり一小節を均等に四つに分けて、拍を感じ取らねばならない。でないとどんどん遅くなったり、逆に早くなったりする。
コンサートのアンコールでマーチを演奏する時は、特に要注意だ。お客様が演奏に合わせて手拍子をして下さることがよくあるが、この際の手拍子は当然、『イチ、ニ、イチ、ニ』となる。
耳でこの拍取りを聴きつつ、指揮者を見て低音パートを聴き、胸の中では八分音符で拍を取らねばならない。お客様がどんなにリズムを狂わそうとも、あくまでも正確に、忠実にカウントするのは、私のような素人にとっては至難の技である。
お客様の有り難く心温まる手拍子は、奏者にとって、実はスリリングでもあるのだ。

そしてマーチのクラリネットセクションには、『休み』が極端に少ない。
主役はあくまでもトランペットやトロンボーンといった金管楽器である。
クラリネットは主にメロディーラインを吹いている。しかし同じフレーズを吹いている、サックス等の音の大きい楽器にかき消されてしまうことが非常に多い。吹いても吹いても報われない、という事態が気分を滅入らせる。
フルートやピッコロも音の小さい楽器ではあるが、マーチに於いては装飾的な使われ方をすることも多く、案外存在感がある。あると曲が引き締まるし、気分を高揚させる効果は十分である。
一番しんどいのは打楽器と低音パートだと思う。『刻み』と呼ばれる、リズムの要となる音を延々と演奏し続けねばならない。しかしみんながここを頼りにするので、やりがいがあるのではなかろうか(勝手な推測?)。
居ても居なくても良いくらいの存在感なのに吹き続けねばならないというのは、気分的にも体力的にもしんどいものがある。

運指が難しいということはあまりない。歩けるスピードであることが多いから、目を回すほど速くて大変、ということもない。
技術的な難易度はそう高くないことが多いけれど、リズム一つ取ってもマーチは決して侮れない。
最初に所属した楽団では、集中的にマーチばかりの合奏練習をしていたこともある。へとへとになったが、拍の感じ方や曲の終わり方など、とても良い勉強になった。
以前所属した楽団の音楽監督は
「マーチは全ての基礎なんだよ」
とよく仰っていた。金言だと思う。
たかがマーチ、されどマーチ、なのである。

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