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至福のひと時

昨日は年内最後の合奏練習だった。
「じゃあね、良いお年を」
という挨拶を交わしながら、こちらに来て三度目の正月ももうすぐだなあ、と感慨深い思いで帰宅の途についた。
終了時刻は大抵九時頃だから、帰宅すると十時前くらいになる。イブイブでいつもとは違う賑わいを見せる街を通り過ぎて、家に着いて重い荷物を下ろすとホッとした。
少し身体が緩むのがわかる。

夫にただいまとありがとうを言ってから着替えて、ガラスのお猪口をおもむろに棚から取り出す。土曜の晩のお楽しみ、帰宅後の一人飲みの時間である。
翌日に終日練習が入っていない時に限り、毎週ちょこっとやっている。
飲みながら、その日あったことを夫と報告し合う。
徐々に身体が緩んでいくのがわかる。

楽器を演奏するというのは楽しいことだけれども、集中力も使うし、体力も使う。
今回は行き慣れた会場だったから良いが、初めて行く会場だと方向音痴の私は、行くまでに神経をちょっとすり減らしてしまう。
荷物は楽器二台分と譜面台(コイツが重い)、楽器スタンド、譜面、小物と嵩と重さがある。これを背負ったり手に持ったりして、まるでちょっとした家出人のような格好をして電車に乗るのだから、まあまあ疲れる。
加えて、土曜日の朝から三時頃までは仕事である。昨日から冬休みに入り、クリスマス前の職場は猫の手も借りたいほどの忙しさで、定時には帰れなかった。
こういう諸々の疲れをこの帰宅後の一杯が癒してくれる。趣味で行ってる癖に、とは思うが、身体がそう感じるのだからしょうがない。
別にお酒の種類にこだわりがあるわけではない。ノンアルでも良いし、ワインでも良い。ビールはお腹が膨れてしまうから飲まない。
楽団の友人達に訊くと大体皆同じような感じだそうで、帰宅後の一杯が楽しみ、という人は多いようだ。

練習後帰宅して飲酒する、というのは私の長年のパターンだった。
でも昔は今みたいにホッとするお酒ではなかった気がする。
子育て中はやけ酒みたいな飲み方で、夫によく「身体壊すぞ」と注意されていた。きっと色んなストレスから逃れる為に飲んでいたのだろう。今みたいに『身体が緩む』なんて実感することはなかった。
自分の楽しみというより、「飲酒が楽しみなんです、それくらい日頃私は大変な思いをしているんですよ」と周囲に宣伝する為に飲んでいるような、嫌な酒だった。
傍で見ていた夫もさぞかし嫌な思いをしていたろうが、私を責めるようなことは一切言わず、ただただ黙って眉を顰めるだけだった。きっとどうしたら良いか分からなかったけれど、かなり心配していてくれたんだろう。
楽団の役員として、演奏会の準備などの重圧に晒されている時はもっと酷かった。誰にも愚痴をこぼせない辛さを全部、酒で紛らわしていた。よくあれで翌日早朝から仕事をしていたな、と思うくらい飲んでいた。楽しい酒でなかったのは言うまでもない。
その所為だろう、その頃の肝臓の数値は異常ではないけれど、あまり芳しいものではなかった。今思えばバカだったとしか言いようがない。

それまでの反動か、その後一時期全くお酒を受け付けなくなった時期があった。少しでも飲むと気分が悪くなってしまう。肝臓がいよいよダメなのかな、と青くなったが、そういう訳でもなさそうだった。一年ほどすると自然と飲めるようになったのである。
その頃丁度、自分の中に様々な気付きと変化が訪れていた。私の精神状態の変化と共に、お酒との付き合い方も自然と良い方に変化したのだと思う。

今は肝臓の数値も健康そのものである。今も色々あるにはあるが、もうこんな飲み方はしない。お酒は私を緊張から解放するお手伝いをしてくれたり、コミュニケーションを円滑にしてくれるお薬みたいなものである。
『酒は飲むべし、百薬の長』という言葉がしみじみわかる。

練習後杯を傾ける時間は、今は本当に私の『至福のひと時』になっている。