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稲の花

私の母は下町生まれだったせいで、田圃と言うものをほぼ見ずに育った人である。結婚して住まいを構える超ド田舎に来て初めて、
「わあ!日本って田圃がこんなにあるんだ!」
と感動?したらしい。
感動したからと言って、母は田圃に深い関心を寄せた訳ではない。それどころか虫は嫌い、蛇やカエルの類は言うに及ばず、泥は汚いもの・・・と異常なくらい近寄らなかった。だから田圃に関してだけでなく、母の田舎の自然に対する知識は長い間、結婚当初のままだった。

父は私達が住んでいた田舎よりもっと田舎の出身だったから、カエルを見ては腰を抜かし、毛虫を見ては喚きまくる母が大変奇異な人に見えたらしい。夫婦二人だけの時はそれでも良かったが、私達子供が大きくなってくるのにつれ、親たるものがこんなに自然に対して無知ではいかん、と父は常日頃から憂えていたらしい。

ある初夏の日、妹が田圃で捨てられている苗数本を拾って持って帰ってきた。近所の田圃では田植えが終わると、植えなかった苗を畦道や用水路の傍にポイっと固めてよく捨ててあった。どういう理由で植えなかったのかは未だにわからないが、まだ青々と元気そうな苗を見た妹は
「ウチで育てて、お米を収穫して食べたい」
と食い意地を張って、持って帰ってきたのであった。
「あんたなあ、こんなちょろっとで『食べる』なんて量取れへんのよ」
と母は笑った。が、父は珍しく大真面目な顔をして母に向かうと、
「K子さん。ええ機会や。あんたいっぺん稲はどう育つんか、見てみなはい。ワシが適当なもんで田圃作ったるから」
と言って、捨てるつもりだったボロ鍋に土を入れ、水を張り、妹が拾ってきた稲の苗を丁寧に植えた。小さな小さな田圃が出来上がり、私と妹は歓声を上げた。
父はそれを庭の一角に置いて、母に毎日観察しながら水やりするように、と笑って言い渡した。

苗には何も悪い所はなかったようで、稲はすくすくと順調に育った。母は父の言いつけ通り、毎日水やりをしながら観察していて、今日は葉がこんな風になってきた、穂が出てきたようだ、などといちいち私達にとっては当たり前の見慣れた現象を興奮気味に報告してくれた。
ある日、
「ちょっと!稲の穂のツブツブから白いもんが出てる!」
と騒ぐので、
「ああ、花が咲いたんやね」
と言ったら母は目を丸くして、
「え!稲って花咲くの?!」
ととんでもないことを言った。
「咲くに決まってるやろ。花咲かんとどうやって実なるねん」
と私と妹が呆れると、
「でも、なんも綺麗な花びら見えへんえ。どこに咲いてんの?」
と母は不思議そうに言った。
妹と二人で爆笑した。

稲の花は目立たない。籾にあたる部分が開いて、そこから白い雄蕊の先端がぴょこぴょこ顔をのぞかせる。中の方をよく見ると、黄色い雌蕊も見える。地味な外見だが、れっきとした『花』である。
母にとっては、『花』というのは綺麗な花びらが何枚かあり、それがパカーンと空を向いて開き、雌蕊を中心にして雄蕊が密集している・・・というものらしかったから、こんな目立たない花が存在すると言われてもなかなか事実として飲み込めないようだった。
どんなに私達が言葉を尽くして説明しても、稲の『花』についての母の理解は深まらないままだった。

やがて実りの秋を迎え、稲は一丁前にベージュ色の穂を垂らした。
「ボツボツ『収穫』してもええやろう」
という父の言葉に従い、私達は穂をちぎって実った実を一粒一粒丁寧に穂から外した。
少量だから、脱穀など手でするしかない。爪を使ってよいしょよいしょと籾を剥くと、薄茶色に透き通った皮を被った『米』が現れた。
「いやあ、お米やわあ!お米になった!」
母の間抜けな声に、父と一緒に笑った。
「玄米やな」
家族で額を突き合わせて小さな数粒をまじまじと見た。ウチは玄米を食べない家だったから、私も玄米を見るのは初めてだった。
普通にいつもの米に混ぜて食べた。残念ながら少量過ぎて味はわからなかった。

田舎に住んで六十年近くなるが、未だに母の稲の『花』についての認識は曖昧だ。育てたやろ、見たやろ、と言うのだが、
「あれが花やったん?わからへんわ」
とやっぱりよくわかっていないようだ。
田圃のない地域に住んでいても、今でもあの凹んだ鍋の中の小さな田圃と、母と顔を突き合わせて見た稲の花をふと思い出す瞬間がある。