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いつまでも少女

最近『わたしの幸せな結婚』(顎木あくみ 作、KADOKAWA富士見L文庫)という作品にハマっている。いい歳をして、若い子がキュンキュンするようなお話を読むのに、一日のかなりの時間を費やしている。同名の小説が元のようだが、私は専らマンガを愛読している。
既に映画化もされているが、七月五日からアニメでも放送が始まった。寝ている時間帯なのでしっかり録画して、休日に三十分間の夢の世界を楽しんでいる。
絵が細やかでとても美しい。アニメと一口に言っても、画質等には物凄く違いがあるんだな、と遅まきながら最近になって知ったのであるが、この作品はかなり高度で繊細な技術を用いて描かれていると思う。
ジャンルとしては『ファンタジー』の部類に入るらしい。私はそういったものには全く興味が湧かないので、キャラクター設定にある『異能の才』なんてのにはワクワクしない。へー、そういう才能のある人物なんだ、と軽く情報を脳にインプットするくらいである。
では何が好きかというと、ずばりストーリーそのもの、である。

このお話は斎森美世という薄幸の少女が主人公である。一見華がなく、才能もなく、地味な格好をさせられている為目立たないが、実は磨けば光る可愛い子である。派手で美しく才ある異母妹と比べられ、継母や義妹からわかりやすく虐げられて育った(多分、明治か大正時代くらいのお話。現代だと絶対警察沙汰)ので、いつもびくびくして怯えているが、家事一切をしっかりやれる。
こう書くと、どっかで聞いたような設定だと思う。そう、『シンデレラ』だ。このお話の売り文句にも『和風シンデレラストーリー』とあるくらいだ。違うのは相手の久堂清霞との出会いが偶然ではなく、美世が親に強制された婚約であることぐらいである。

どうも私は、こういう『薄幸の、本当は美少女なのにぼろを着せられて薄汚い恰好をしている虐げられし』子が『とっても男前でデキるけれど偏屈な女嫌いの男性』の気に入り、『数多いる根性の悪い美女』を押しのけて、『私なんかが幸せになって良いのかしら』と遠慮がちに目をウルウルさせながらハッピーになっていくお話が大好きである。
最初から少女が『金持ちでいつも気の利いた格好をして』いたり、相手が『仕事のできない、女好きの節操のない男』だったり、ライバルが『薄幸の美少女』だったり、主人公が『あなたなんかにこの人は渡さないわ!』と闘争心をメラメラ燃やす子だったりすると、多分読んでいない。
例外的に『風と共に去りぬ』はこれに近い感じの人物設定だが、あの作品の魅力は神々しいまでに美しく逞しくワガママで力強い、スカーレットの生涯そのものにあるので、これとは話が別である。
『わたしの幸せな結婚』が人気だということは、世の『女子』は私と同じようにこういうお話が好きだ、ということなのだろうか。

薄幸の美世が、自力ではなく他力で幸せになっていく。その仕組まれた偶然に心が躍る。
こちらが『幸せになって欲しい』と無意識に願う美世に、男前でデキる男、清霞が段々夢中になる。そうそう、そうなのよ、と応援したくなる。ツンデレの清霞にもついつい親近感がわいてしまう。
『根性の悪い美女』である香耶が、虐げていた美世が幸せになろうとするのを邪魔する。様々な邪魔がなければすんなり幸せになれるのだろうが、この邪魔があるから更にドキドキする。美世と清霞を益々応援したくなる。
立場の弱い者の幸せを願う気持ちが、私を夢中にさせる。私は内心で美世に自分を重ねているのだと思う。心のどこかに、『薄幸のヒロイン』になりたい自分がいるのだろう。

現実に生きていれば夢ばかりは見ていられない。
いつの間にか安定した、居心地の良い生活にどっぷりと浸かりつつ、毎日静かな幸せに包まれて暮らしている。それはそれでとても有難いことなのだけれど、やっぱりどこかにふんわりとした夢を見ていたい自分がいる。
叶えられなかった荒唐無稽な憧れを、空想の世界の登場人物に重ねてみたい欲望が五十路半ばになってもまだ常にあるなんて、未だに私は『女の子』なんだなあと思う。
大人の男性に向かって「いつまでも男って子供だから」なんてよく言うが、私も偉そうなことは言えない。
でも好きなものは好きだから、しょうがない。






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