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天から降り注ぐ音

アニメで一躍有名になったユーフォニアムという楽器は、オーケストラでは使用されない。だから吹奏楽に縁のない人にとっては、あまり聞いたことも目にしたこともない楽器だと思う。
形はチューバに似ているが、半分くらいの大きさである。音質は柔らかくのびやかで、人の声に近い印象を受ける。
私が若い頃は金管楽器というと男の子のやるもの、というイメージだったが、ホルンとユーフォニアムは例外だった。どちらも柔らかい音がするから、女の子もやりたいと思うのだろう。
私もやってみたいと思う楽器の一つである。

日本には世界に誇るユーフォニアム奏者がいる。
外囿(ほかぞの)祥一郎さん。鹿児島県出身のプロユーフォニアム奏者だ。
中学校の吹奏楽部で初めてユーフォニアムを手にしたというのに、高校三年生にして航空自衛隊音楽隊(プロの吹奏楽団)の試験に合格してしまっている。高校卒業までに受かるのは後にも先にも例がないそうで、卒業後すぐにこの音楽隊に入って活動を始められたようだ。
音楽大学を卒業した人でも狭き門の試験に、現役の普通高校の学生でありながら受かってしまうという、まさに天才である。

NHK交響楽団が毎年夏に開催している『N響ほっとコンサート』。ラフな雰囲気の、ファミリー向けのコンサートだ。
このコンサートでは、いつもはオーケストラの舞台に乗っているN響の管楽器奏者達が、吹奏楽の曲をいくつか披露する。オーケストラの管楽器奏者の人数では足りないので、N響OBも何人か出演している。
吹奏楽にはユーフォニアムが必要だが、N響はオーケストラだから、当然ユーフォニアム奏者はいない。だからよそから呼んで来なくてはならない。
この時いつも呼ばれて舞台に上がるのが彼である。日本一のオーケストラのメンバーと共に舞台に乗るのに、最もふさわしいユーフォニアム奏者として認められている、ということになるだろう。

このほっとコンサートで彼と同じ舞台に立った元N響のクラリネット奏者の加藤明久さんが、音楽雑誌のコラムで彼についてこんなエピソードを紹介していた。
このコンサートのリハーサル帰り、加藤さんが電車の座席に座っていると、同じ車両に外囿さんが偶然乗ってきた。知らない仲ではないのでお互いに軽く会釈し、外囿さんは加藤さんより少し離れた席に腰をおろした。
しばらくすると、小さな子供を連れた母親が乗ってきた。子供は疲れていたのか、『座りたい』と言ってグズリだした。しかし生憎席はいっぱいで、母親は子供をなだめるしかなかった。
加藤さんはお母さん大変だなあ、と少し離れた席から親子を眺めていた。すると
「ここどうぞ」
とサッと席を譲った男性がいた。外囿さんだった。
子供は喜び、母親は恐縮して何度もお礼を言った。彼は穏やかな笑顔でそれに応じ、楽器を手にずっと立っていたそうだ。
加藤さんが感心したのは、彼が素早く行動したからだけではない。
その日のリハーサルは長時間に及び、かなり体力的にキツかった。加藤さんも座れて良かった、とホッとしていたらしい。
自分と同じように疲れているに違いないのに、気持ちよく席を譲れる、彼の温かい心にうたれた、と書いておられた。

このエピソードを読んで以来、私は外囿さんの音ばかりでなく、人柄まで好きになってしまった。
普段、加藤さんはこのコラムで、なかなか厳しい意見を書いておられた。その観察眼は鋭く、気取りやてらいや忖度のない痛快な文章で、加藤さんが嘘のつけないお人柄であることがよく分かった。
その加藤さんがここまで手放しで人を誉めるのは珍しいことだった。だから私は加藤さんの語る外囿さんの人柄を、そのまま素直に信じ込んだのである。

外囿さんの魅力はなんと言ってもその柔らかい、優しく温かい音にある。
『パントマイム』(フィリップ・スパーク作曲)等に代表される、彼の息を呑むような超絶技巧にもワクワクするけれど、やはり私は彼の伸びやかな、美しい音が大好きだ。じっと聴いていると、まるで人の歌声のように聴こえてくる。楽器の音だとは思えない。
聴いたことのない方は、私に騙されたと思って是非一度お聴き頂きたい。
きっと天から降り注ぐ光が瞼に浮かぶに違いない。






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