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届け、ポケットに

同世代の友人の中に、毎日LINEで職場や家庭であった嫌な事を「ねえ、聞いて」と言ってくる人がいる。
更年期で体調も思わしくないようで、今日は歯医者、明日は内科、その次は耳鼻科、と病院通いに忙しい、とボヤいている。明るい話題が全然ないので、読んでいて可哀想になってしまう。
事実なのだろうが、色々後ろ向きだなあ、と感じる事が多い。よほど体調が悪いのかな、と心配になってしまう。

いつでも元気で前向きで居る為には、先ず自分の現状を客観的に見る冷静な目線が必要である。その上で起こった感情について正確に一つ一つ、何故その感情が起こったのかを自己分析する。その感情が起こった事を責めず、そう言う気持ちになった自分に納得し、同意する…というステップを踏むのが良い。
すると、そんなに後ろ向きにならずに済む。
だが人間誰だって、そう上手く自分のコントロールがきかない日だってある。それもわかる。

彼女もそういう事が腑に落ちれば随分今より楽になるだろう、と思うが、彼女には彼女なりの事情があるだろう。
なので私としては消化不良だが、『大変やね』『身体大事にね』とありきたりだが、労りの言葉を送る事にしている。

いつだったか、『職場に、挨拶しても知らんぷりの同僚が居て、物凄く腹が立つねん』と言ってきた事があった。
挨拶を返して欲しい、という同僚に対する彼女の期待があるが故に腹が立つのだろうと思われるが、彼女にそう言った所で余計嫌な気持ちになるだろう、と思った。
しかし子供のように、
「何それ~めっちゃ失礼やんなあ!しばいたろか、腹立つなあ~」
と返しても、彼女の陰鬱な気持ちに加勢するように思えた。

私だったらどんな言葉をかけてもらったら嬉しいだろう、と考えていた時、渡辺和子さんの言葉を思い出した。

渡辺和子さんはもう亡くなられたが、カトリックのシスターである。お父様の渡辺錠太郎さんを、2.26事件の時にご自分の目の前で亡くされている。
この方の『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)という著作の中に、やはり挨拶を返してもらえない時、自分はどう考える事にしたか、という一節があった。

『私の挨拶は相手のポケットに入ったのだ、と考える』

と書いてあった。

これだと挨拶した事を後悔しなくて済む。気持ちよく過ごしたかった自分を落胆させずに済む。相手に憎しみを抱くこともない。
友人に伝えるのはこの言葉かな、と思った。

早速彼女に伝えてみた。すると彼女から『面白い!今度からそうしてみるわ!』といつになく嬉しそうな返事がきた。
ありきたりな慰めの言葉より、一緒に暗い気分になるより、良かったようで安心した。

友人のかけて欲しい言葉はなんだろう、と考えるのは結局私の為にもなった。
彼女が気付いていなくても、私の思いも彼女のポケットに入っていると良いなと思う。
他人は自分の鏡だから。